どうやら、その必要なことを考えずにここまで来てしまったんですね。そして、いまや、その必要さえもとうに忘れられたか。 もっとも富を作るということが文化を作るということにある程度まで必要な手段となるが、その程度を超過すると、時として富の中毒によって文化の停滞もしくは廃頽を来すようになるものである。文化の発達は富のごとく百年、二百年の努力でできるものではない。 文化を使って富を得て、その富の中毒によって文化を廃頽させたか。しかし、その廃頽した文化は百年、二百年の努力ではできない。 個人や法人でも同様だと感じました。富を得るのに比べ、文化に類するものを個人や法人が築きあげるのには時間がかかります。どちらにより時間を割くべきかは利口なものならわかりそうなものなのだけれど。 目先を見るか、将来を見るか。将来を見るなら本来を見つめなくてはいけない。 世界の人類を向上せしむべき文化を作るか、それとも富を得