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observationに関するgitanezのブックマーク (38)

  • 【参加者募集】7月7日(土)開催 観察(オブザベーション)ワークショップ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 デザイン思考で用いられる代表的な手法の1つにエスノグラフィーがあります。 従来、文化人類学などの分野で用いられてきた、この手法は、人びとが暮らす現場に出かけて直接人びとの暮らしに触れるかたちで行なう参与観察に特徴があります。 話を聞いて知るのではなく、自分で見たり体験したりする「観察(オブザベーション)」から人びとの暮らしについて、彼ら自身も知らないことまで把握するのです。 デザイン思考においては、このエスノグラフィーでの観察を通じて得た事柄から、その人たちのメンタルモデルを洞察し、その先にあるイノベーションの鍵を見つけていきます。 その意味では、この「観察」はデザイン思考的なアプローチを行なう上で最も重要な意味をもっているといえます。 今回のワークショップでは、「観察」の

  • ユーザー理解とは―: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ユーザーを理解するというとき、その「理解」というものを間違った形でイメージし、理解しているケースが意外と多くみられます。とりわけ多い間違いは、ユーザーとなりえる人の人となりすべてを理解することが、ユーザー理解だと思ってしまうことではないでしょうか。あるいは、漠然と理解するというだけで、何を理解しようとしているのかのフォーカスがなかったりすることもあります。 そもそも、特定の人間のすべてを理解するという漠然としたイメージでそもそもどんなことを理解しようとしているのかもよくわかりませんが、普通に考えて、ひとりの人間のすべてを理解することなんて、そうそうできるはずもありません。長年付き合いのある友人や家族だって、その相手のことを理解できているなんていえないでしょう。 それなのに、

  • 2009-07-12:オブザベーション@青山通り: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「動きのなかで」なんてエントリーを書いたので、今日はオブザベーション気分でした。 ジェーン・フルトン・スーリの『考えなしの行動?』の真似をして、青山通りから表参道を歩きながら気になるものを写真に撮ってきました。 好奇心を研ぎ澄まして観察すれば、ごく平凡な出来事がデザインの好機と結果についていかに閃きの発想をもたらすのか、ということがしだいに明らかになるだろう。

  • 動きのなかで: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 オブザベーション(観察)。 デザイン思考で仕事をするうえで、大事なこの観察という活動は、僕らを自分の頭のなかの固定観念、ことばで理解したつもりになっている知的現実から、僕らの外にある未知の現実世界へと連れ出してくれるという意味において、非常に重要な活動だと思っています。 システマティックに構築された人工の空間のなかで、けれど、人は実は必ずしもシステマティックに行動しているわけではないことに目を向けさせてくれ、それぞれの人が自分のいる環境をすこしでも自分にとって都合のよいものになるよう工夫をして環境をリデザインしながら活動していることに気づくはずですから。 たとえば、丸い柱を紙にものを書く際の机として利用している彼のように。 デザインを通して支援しようとしている行動そのものに

  • 考えなしの行動?/ジェーン・フルトン・スーリ: DESIGN IT! w/LOVE

    僕自身、講演などをさせていただく際に、こうした意図せずにモノが別の用途で使われている様子が写った写真(例えば、椅子の背に洋服がかかっていたり、高い所にあるものの踏み台にされている写真など)を紹介して、その行為に隠された人びとのニーズは何かということを話したりします。 デザイン思考で大切なのは、人びとの意識のなかにある意見を聞くことではなく、こうした人びとが無意識に行っている行動に実はニーズが隠れていることに気づく観察力なんですね。 意図されない方法で使われるものは、いつも人々のニーズに関するなにかを示している。そして、そのニーズは、ときにはデザインの好機といっても良い。 デザイン思考で行うユーザー調査というのは、まさにこうした行動の観察が主体となるのが望ましいと思っています。ユーザーにインタビューするだけではダメで、行動の観察のなかで意図されない行動のなかに隠れたニーズを浮かび上がらせるも

  • 自分がいいと思うモノをつくれ!: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ものづくりをする人がアンケート調査に頼ったり、ユーザーの意見を必要以上に気にするのをみて、たまにがっかりさせられることがあります。 それは完全に調査をする目的を誤解しています。 ユーザー中心だとか、人間中心だとかいいますが、別にそれはユーザーがどういうデザインを評価するかといった意見をきいて、ものづくりをしろなんていう話ではありません。「なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。」 それ以前に、ものづくりをする側が何をつくるのがいいと思うかという考えがなくてはお話になりません。それがないがゆえに、やたらとアンケートで人びとの声を聞きたがるし、ユーザーの評価を気にしすぎる。どっちがものづくりの主体なの?って疑問に思います。 他人の意見に左右される前に、自分がいいと

    gitanez
    gitanez 2009/07/02
    id:Sixeightさん 簡単な話です。僕は自分の本を「マニュアル本」として書いていないからです(読めばわかるw)。「マニュアル本に頼るな」と「本を味わう」ことをいっしょくたにしないように。
  • ポジショニングを考えるための「腰は低く、志は高く。」: DESIGN IT! w/LOVE

    まずは「志は高く」のほうから。 これは何かというと、顧客に対して、自社の哲学とヴィジョンを明示することを指しています。自分たちがどんな世界を実現することを目指しており(哲学)、そのためにどんな価値を具体的に提供しているのか(ヴィジョン)を示すことです。 例えば、どういうことかといえば、 インテリアを扱うメーカーや商社が、自社の商品を使えばどういう暮らし、ライフスタイルを実現できるかをトータルコーディネイトした写真などで表現してみせる。経営コンサルティング会社がどういう経営哲学をもち、それをどんなプロセス・手法を用いて実現するかをトータルのモデルとして開示する。教育サービスを展開している企業が、生涯学習という視点に立ち、どのような学習を行うとよいかを伝え、幼児期から小・中・高、大学、社会人までを対象にした教育サービスをそれぞれ提案する。 など。 もちろん、その表現の仕方は、自分たちがターゲッ

  • 頭で考えるのではなく、身体で直観する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうしたらいいか?と考え悩むのではなく、あるがままにまずは受け止めてみることが大事なんだろう。 それはまったく「考えない」ということとはちょっと違う。 考えないようにするといってもそもそもむずかしい。ただ、おなじ考えるにしても、すぐにどうしたらいいか?と結論を急ぐのではなく、まずはあるがままをじっくり感じ取るということをしてみるのがいいのかもしれない。 慌てずに、じっくりと、瞑想する感じ慌てず、現状をゆっくりと把握する。そうする間になんとなく目の前のものにパターンが見えてくる。そう感じられたところで、一気に自分に見えているものを何かしらの形で書きだしてみるというのがいいのかもしれない。 考えに考え抜いた結果を外に出すというより、ゆっくりと観察した結果・感じた結果、見えてきた

    gitanez
    gitanez 2009/02/06
    id:stj064 さん、「直観」は根拠のないものではないですよ。根拠も含めて一気に掴み取るのが直観。当然、説明はわかる言葉で。
  • 頭のなかの知識の流れを外のモノに置き換えることのむずかしさ: DESIGN IT! w/LOVE

    先日、「WHATとHOWのあいだの"溝"」で書いた、「人間のアルゴリズム」(思考)と「コンピュータのアルゴリズム」(計算)のギャップを埋めるためには、ユーザーインターフェイスの役割というのはとても重要です。 これをいかにデザインするかによって、ソフトウェアのユーザビリティ(使えるか、使いやすいか)は大きく変わってきます。 であって、ソフトウェア・デザインにおいて、ユーザーが特定の目的の達成のためにソフトウェアを利用する際に、正しいソフトウェアの操作手順とユーザーの頭のなかでの目的達成のための手順にギャップがあれば、そのソフトウェアは使えないということになります。 このうち「正しいソフトウェアの操作手順」というのはソフトウェア・デザインを行う設計者が決めたものですから、正しいソフトウェアの操作手順とユーザーの頭のなかでの目的達成のための手順とのギャップというのは、ソフトウェア設計者の頭のなか

  • 100%のなかの確率を高めるのではない。その外の世界を発見するのがイノベーション: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、ある会社でペルソナを中心としたユーザー中心デザインについて、お話する機会をいただきました。 IDEO、apple、スタンフォード大学のd.schoolの例も引きながら、イノベーションの技法、ブレイクスルーを生み出す発想法という観点からお話をしました。 このイノベーションという観点からユーザー調査を経たデザインの手法をみた場合、鋭い勘と豊富な経験をもった人材がなぜ改めてユーザーの観察を行う必要があるのかという疑問がでてきます。十分な経験と質を見抜く眼をもった人がなぜ再度人びとの生活や仕事のなかの行動に対峙しなくてはいけないのか? 今日はその疑問について、「編集」と「視点・在点」の2つをキーワードとして考えてみようと思います。 人びとの行動を編集する昨日話をしたあとに思

  • 隠れた繋がりを見つけることも・・・: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕もそう思います。 色々と繋げる、その中で、今まで聞いた事、見た事のあるものではなく、ないものを繋げる事。 創造力というのは、実はこの事じゃないかなと思ったりします。もちろん、この力以外にも必要なモノはあるのではと思いますが、主にこの力が使われているのかなーと。 あるものと別のあるものを繋げて、新たなものを創り出す。僕もそれが創造力の1つの形だと思います。 まぁ、その前に自分とは無関係だと思えるものにも興味を示せる好奇心が必要なんですけどね。未知のものの文脈に足を踏み込んでいけるかどうか。だって、それが問題を見つける力であり、創造性には問題が不可欠ですから(「好奇心とは独創的な問いを発見する情熱である」参照)。 それがクリアできてはじめて、一見無関係と思えるものに繋がりを見

  • 経営学にとっての現場はどこか?: DESIGN IT! w/LOVE

    これはちょっと違うんじゃないかな? 来、経営学は経営の現場とつながる必然性はない。土着と関係がない、輸入された教養だからです。無駄でした僕がやってきたことは。 経営学という学問に関しては門外漢なので、フィールドワークと経営学の関係がどう捉えられているか正直わかりません。でも、土着うんぬんと輸入された学問だからというのは正直関係ないかと。 そもそもフィールドワークを主に用いる民族学にせよ社会学にせよ「輸入された学問」じゃないと明確にそれを否定することはできないと思いますし、それどころかいまの日の学問で輸入されてない学問なんてそうないんじゃないかと思うんです。 また、フィールドワークの手法そのものにしても土着を調べるのは民族学・人類学ではそうであっても、社会学となると必ずしも土着のものを調べるわけじゃありません。たとえば病院のフィールドワークなんかだと病気という状況でたまたま集まった人たち

    gitanez
    gitanez 2008/03/24
    ↑長くて最後まで主旨が伝わらなくてごめんなさいw
  • 発見のないユーザー調査ってありませんね: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日はひさしぶりにユーザー調査のインタビュアをやりました。 90分×4。時間にすると6時間程度の対面でのコミュニケーションをするわけですけど、何回やってもこれは疲れますね。 初対面のひと4人と対面して、限られた時間のなかで、その人のモノの利用状況なりを把握しようというのですから、そりゃ、緊張もしますし、どう投げかければ求める利用シーンに辿りつけるかとか、相手の答えた内容からシーンをイメージしつつ適切な問いかけを重ねて深掘りしていかなきゃいけないので頭は使いっぱなしだから、疲れるのはとうぜんかなという気もしますけど。 久しぶりの調査だったわけですけど、いつやっても感じるのは、ユーザー調査ってやれば1人1人から常にいくつか発見はあるなということです。 一人ひとりの利用状況にか

  • ただユーザーを観察すればよいってわけじゃない。: DESIGN IT! w/LOVE

    なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。 いや、ユーザー中心のデザインにおけるユーザー調査では、むしろ、「ユーザーの意見は聞いてはいけない」とさえいわれます。意見を聞くのではなく、ユーザーの行動を観察せよ、と。 でもね。ただユーザーを観察すればよいかっていうと、そういうわけでもないんですよね。 観察調査だっておなじで「わかろう」としなければ何も「わかりません」。 極端な話、ただ見るだけだったら目をあけてるあいだなら誰でも四六時中やってるわけです。見るだけでわかるなら、とっくにわかってていいはずです。わざわざ観察調査をするのは、単に目の前でユーザーに普段の行動をとってもらうためだけじゃありません。 観察調査というのは、ユーザーの行動のなかに未来のデザインの輪郭を見つけるためのものです。つまり、実際にはそこにあるようでない「未来のデザインの輪郭」なるものを見るわけですから、ぼーっ

  • デザインへの理解を深める: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「Webデザインへの理解を深める」からインスパイアされて。 デザインとは、どうつくるかではなく、どう使われるかを考えることだと思います。 どうつくるか(ものからの視点)以上に、どう使われるか(ユーザーからの視点)を考えることを重視するからこそ「みんなで手を動かしながら考える」ことが必要で、そのプロセス自体をデザインしなくちゃいけないのだと思います。 どうつくるかは、デザインにとっては二義的です。 どう使われるかを考えぬいたうえで、使える状態を実現するために必要になる問題です。 もちろん、どうつくるかを考えることは大切なことだけど、デザインの第一義的な問題ではありません。 デザインするということは、制作することとは違うというのが前提です。 制作会社は必ずしもデザイン会社ではあ

  • デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(c.問題の研究のためのデータ 収集、分析): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(b.問題の定義、構成要素)」で取り上げた「2.問題の定義」および「3.問題の構成要素の明示」の作業で、これからデザインするうえで何が問題になるのかのリストの作成はできました。 次にとりかかるべき作業は、「4.構成要素を研究するためのデータ収集」と「5.データの分析」です。 問題の構成要素となる下位問題のそれぞれに対して、現状の事実を把握するとともに、どのようにしたら個々の問題を解決できそうかを考えるためのデータを集め、それぞれを分析する。ここでは現実に目を向けながら、その現実が抱える問題を解決するためにはどうするかを創造力を発揮して考えるのです。 データ収集や分析というと、なにやら堅苦しい作業のように思えます

  • デザインの輪郭を決める3つの制約条件: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 物事の背後に存在する関係性が見えなければデザインはできない、ということについて考えたのが「関係性を問う力、構造を読み解く目がなければデザインできない」というエントリーでした。 このことを深澤直人さんは、『デザインの輪郭』のなかで次のように表現しています。 結局、僕は空間に輪郭を描いている。 デザインの輪郭とは、なんとなく、具体的なかたちの周りにあるぼあっとしたもの。 関係が見えるんです。複雑なものが、すうっと。 デザインの輪郭とは、複雑なものが描く関係性です。その輪郭が見えるか見えないかがデザイナーにとっては重要な問題です。「いったい誰がデザイナーなんでしょう?」でも書きましたが、デザインはお絵描きでもなければ、ものづくりでもありません。ふつうの人には見えない複雑な関係性を

  • ペルソナで「普通のユーザー」をつくろうとしてはいけない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日も「ペルソナを使ってWebデザインの評価を行う」でペルソナに関するエントリーを書きましたが、今日もちょっとペルソナに関して気づいたことがあったので、またまたペルソナ関連の話題で。 気づいたのは、ユーザー調査に基づいて複数の実在のユーザーからペルソナをつくる場合、気をつけないと「そんな人いねえだろ」っていうペルソナができてしまうということです。 もちろん、実際にいないような人のペルソナをつくって、それをデザインに活かそうとするのは無駄です。 だって、実在しない人がデザインされたものを使うということは永遠に訪れないわけですから。 普通の要素だけを切り張りしただけのペルソナ実在のユーザーを対象にしたコンテキスチュアル・インクワイアリーによる調査を行った結果のユーザー・データを

  • 良質のインプットは時間をかけることなく即座に昇華にいたる: DESIGN IT! w/LOVE

    使える時間は決まっています。ゆえに確保できる時間にも限界がある。 インプットにこだわるべきというのは同意するけど、早くスタートを切れるようなタネまでの距離はインプットだけでは全然埋まらない。むしろ、インプットを昇華するための時間を意識的に確保する方が遥かに重要では。 もちろん、ある程度、考える=昇華する時間を確保することは大事だけど、もっと大事なのは限られた時間のなかでより多くのアイデアの創発を起こすことではないか、と。それが他人より早くスタートを切るための秘訣だと思うのです。 より多くの経験を有していることで、より多くのセレンディピティが生まれやすくなるなんでインプットにこだわり、経験の量を増やすことが、他人より早くスタートを切るための秘訣になるのか。 ここでのキーワードは創発です。 より多くの経験をもつ者ほど、新しい経験から何かを発見する確率が高まるのだと思うのです。金持ちほど裕福にな

  • スタートを早めるためには、意図的に過去の経験の蓄積を増やさなくてはいけない:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 必要になってはじめてスタートを切るのでは遅い。スピードを上げたいなら速度を上げるのではなくスタートを早めないといけない。 でも、必要になる前にスタートを切るためには、いつスタートすればよいかということを「必要」以外の理由で感知できないといけません。 「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」と簡単に書きましたが、実は、スタートを早めるためにはもう1つ、いつスタートを切ればよいのかというもう1つ別の課題があるわけです。 人が気づいていないものに気づくスキル当に必要になる前にスタートを切れるようになるためには、ようするに先見の明がスキルとして必要になってくるわけです。いまだ多くの人が気づいていないことに、いかにして早く気づくことができるかが重要にな