不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「自分で考えろ」「答えがあると思うな」 学校でも企業でも当然のように用いられるこれらの言葉は果たして本当に正しいか? 最近、そのことに大きな疑問を感じています。 「質の劣化と文脈からの逸脱」で書いたように、歴史的には時代が下れば下るほど、ものつくりの技術は質的に劣化し、かつて可能であった品質をあとの時代には再現できなくなります。いまに生きる人たちはこのことに無頓着ですが、すこしでも関心をもって歴史上の制作物を振り返る目をもった人であればその差は歴然としています。 過去の技術の伝承・維持、あるいは個人意識の孤立を回避するにはなぜ過去にあった質を維持する技術の伝承ができないのか? それは白川静さんが『初期万葉論』や『漢字―生い立ちとその背景』で、田中優子さんが『カムイ伝講義』で