タグ

thinkと民藝に関するgitanezのブックマーク (2)

  • 工藝の道/柳宗悦: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「自分で考えろ」「答えがあると思うな」 学校でも企業でも当然のように用いられるこれらの言葉は果たして当に正しいか? 最近、そのことに大きな疑問を感じています。 「質の劣化と文脈からの逸脱」で書いたように、歴史的には時代が下れば下るほど、ものつくりの技術は質的に劣化し、かつて可能であった品質をあとの時代には再現できなくなります。いまに生きる人たちはこのことに無頓着ですが、すこしでも関心をもって歴史上の制作物を振り返る目をもった人であればその差は歴然としています。 過去の技術の伝承・維持、あるいは個人意識の孤立を回避するにはなぜ過去にあった質を維持する技術の伝承ができないのか? それは白川静さんが『初期万葉論』や『漢字―生い立ちとその背景』で、田中優子さんが『カムイ伝講義』で

  • 用の美:人と喜びを分かつことのたのしさ: DESIGN IT! w/LOVE

    不二とは、もとは仏教用語で、相対的でないことを指します。日常的、世間的、人間的な認識では相対立して現れる事柄が、仏教の高度な理解においては統一して捉えられることを示しています。 つまり、物心への用は、2つの異なる相ではなく、おなじ統一された用であると柳さんは言っているのです。 これが機能美でないのは明らかです。 そもそも機能は決して用ではありません。それはモノの側、システムの側の働きを示すのみであって、必ずしもそれが人の用を満たす働きになるとは限らないのは、世の中の多くの製品を思い出せばすぐにわかります。 しかも、その機能をさらに視覚的なデザインとは別に考えたりします。おなじモノづくりをするのに開発とデザインが分かれたりします。さらに、プロダクトデザイン、UIデザイン、システム設計などとなってくると、もう意味不明といわざるをえません。 用は不二であるはずなのに。 「多」の美、労働の美『工藝

  • 1