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thinkとcreativityに関するgitanezのブックマーク (9)

  • なぜ、KJ法は失敗するのか?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 フィールドワークなどの調査で集めた質的情報を、俯瞰的視点と細部に踏み込んだ視点の両方を用いて包括的に分析し、分析結果をメンバー間でしっかり共有しておけるかが重要になります。 ある事実を観察したとしても、 事実を特定の視点による特定の角度からしか観察できないすべてを観察することができず一部のみしか観察できない観察者の意思が働いて、観察結果に事実そのままではない強弱ができてしまう観察者それぞれで異なる見方をしてしまうので、おなじ事実をみても観察者によって解釈が異なる ということが起こるので、観察した結果を、調査後、再度メンバー全員での分析作業により、上記の問題を補う必要があります。 多くの調査がこの分析作業を重視しないので、多くの事実が抜け落ちてしまったり、ゆがめられて解釈され

  • 日本における生成の概念と「型と形」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 大量生産の複製品でもなく、かといって、手描きの絵のようにこの世で唯一の作品でもない、手作業による複製品である、芹沢銈介さんの型絵染(or 型染)作品をみて、僕はこの文章のことを思い出していました。 グノーシス派のとくにエジプトの人々は、物質に対して鋭敏な感覚を持ち、物質の内部に潜む諸力の混淆をよく把握していた。それに対し、近代人は物質を形で捉える。近代人にとって物質とは第一に物体の問題であって、近代人は物体の外形を視覚で捉え、それを理性で処理していく。分類したり比較しながら、より大きな物体の生産に利用していく。近代人は、それゆえ、物体相互の底に流れる物質の内的諸力に対しては鈍感だ。 物質を外形で視覚的に捉える近代人と、形を超えて存在する物質内部の諸力に眼を向けるグノーシス派

  • 入力したものをどうするか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと」ではインプットの基をまとめました。 そこでは話し相手という例をあげましたが、実際には「「我を捨て、自分の外にでる」ということの意味」で補足したように、インプットの対象は話をする相手だけでなく、もっと一般的な意味での人間だったり物事だったりします。そこでも書いたとおり、インプットを行うのは、我を捨てて自分の外に出て、自分の中にないものを発見するためです。 自分の思い込み・当たり前・固定観念の外に出るために、観察対象の立場になって観察・聞き取りをする。いわゆる質的調査と呼ばれるものです。質的調査を通じて僕たちはそれまで居た自分の内側の世界から外の世界を旅することになる。 僕は、西行や芭蕉のような歌人や俳人が日各地を遊行して

  • 用の美:人と喜びを分かつことのたのしさ: DESIGN IT! w/LOVE

    不二とは、もとは仏教用語で、相対的でないことを指します。日常的、世間的、人間的な認識では相対立して現れる事柄が、仏教の高度な理解においては統一して捉えられることを示しています。 つまり、物心への用は、2つの異なる相ではなく、おなじ統一された用であると柳さんは言っているのです。 これが機能美でないのは明らかです。 そもそも機能は決して用ではありません。それはモノの側、システムの側の働きを示すのみであって、必ずしもそれが人の用を満たす働きになるとは限らないのは、世の中の多くの製品を思い出せばすぐにわかります。 しかも、その機能をさらに視覚的なデザインとは別に考えたりします。おなじモノづくりをするのに開発とデザインが分かれたりします。さらに、プロダクトデザイン、UIデザイン、システム設計などとなってくると、もう意味不明といわざるをえません。 用は不二であるはずなのに。 「多」の美、労働の美『工藝

  • もうひとつの量の追求: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 百聞は一見に如かず、といいます。 だとしたら、一見もまた百聞に如かず、なのでしょう。 そこを見落としてはいけません。 「なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?」では、自身が手を動かすことで得られた多量の経験値を元に、反省し、編集することで、新たな知を生み出し、それを利用する方法があるということを書きました。 いわく、質より量、とりあえず、やってみよう、と。 でもね、それだけやってればいいってもんじゃないんですよね。 というのも、どうしても個人が自分の手で作業を行える範囲って限られますから。自分の経験によって得た知だけに頼ろうとすれば、知は深まることはあっても、広がらない。 井の中の蛙大海を知らず されど空の高さ知る。 そう。深さ-高さに関する知は、自分で手を動かす量に

  • 考えて実行する5段階プロセス: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、コネコさんと話していて「何で最初に何やるかを決めないのか」「何で考えるときにいろいろ調べないのか」という話題になりました。 だって、みんな、考えて実行する方法を知らないし、学生は学校で教えてもらえてないもん。天才ならその方法を自分の人生経験の中から身につけるのですが、凡人には教えてあげないといけない。あるいは、自分で体系化された方法を学んで、やってみる必要があると思います。 でもね、その方法って実はすごく単純で、すでに体系化されてるんですよ。つまり、それがPDCA。 噛み砕くと、以下の5段階のプロセスです。 決める調べる考えるやってみる反省する プロセスとして書けば、たったこれだけ。やることの規模感は大なり小なりあっても、この5つの段階のプロセスで、考え、実行すればい

  • 危機感・問題意識創出のためのプラクティス その5つの軸: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 物事を深く考え整理したり、積極的に新しい活動をはじめたりするためには、危機感や問題意識というものがあったほうがいい。それがないと、考えたり行動したりするモチベーションが生まれないだろうし、思考や行動の方向性が見いだせずに動きが鈍ります。 考えることをしない人、自ら積極的に行動するということができない人は結局、危機感や問題意識をもてていないという場合が多いのでしょう。 と、ここまではどこでも言われていそうなことですね。ロクにもの考えてない人でもここまでは言えますよ。だって、あちこちで言われてきていることですから。 で、ここからが意外と多くの人が勘違いしがちなポイント。 危機や問題がある状況に対する評価だということを見落としてませんか?危機感とか問題意識って、当に危機だったり

  • イメージを形にする力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どんな仕事でもそうでしょうし、また、仕事に限らず自分自身の人生を考えるうえでも、イメージを形にするということは常に求められているのではないかと思います。「イメージを形にする」というのは、言い換えれば、「夢をかなえる」ともなりますし、「考えてることを実現する」ということでもいいと思います。 ただ、どんな言い方をした場合でも、そこに求められていることは2つある(あるいは3つ)のだと思います。 1つは、イメージすること(夢見ること、考えること)。 もう1つは、具体的な形にする力(イメージでも、夢でも、考えでも)。 そして、もう1つ加えるとしたら、形になったものが当に自分がイメージしていた(夢見ていた、考えていた)ものだったかどうかを検討することでしょうか。 これはデザインに絞っ

  • 感じることと考えること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 モノや仕組み、ルールなど、すでにできたもののデザインを目にして、時々、「あーこのデザイン、考えられてないな」と感じることがあります。その場合の「考えられてない」は言い換えると、使うシーンや例外的使用のケースが想像ができてないな、イメージができてないなということだったりします。また、経年変化への対応あるいは対象となる量(組織の従業員数とか扱うデータ数とか)の変化を想像せず=考えずにつくっちゃったんだなと思うんです。 うーん、そういう意味では想像力に欠けた人がつくったのかなと疑問に思うデザインのものって多いんですよね。想像力の欠如がそのままデザインの品質に影響しちゃってるし、生活スタイル・ワークスタイルに何の提案力をもたないものができあがっちゃう。ちゃんと考えてつくってます?っ

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