◆グローバリゼーションとアメリカナイゼーション 私が「亜細亜主義」という言葉を書き綴るようになったは、一九九九年の「WTOシアトル総会」がきっかけです。当時は「亜細亜主義」という言葉を大量に売れる刊行物の中に表立って書く事には勇気がいりました。ところが実際には拍子抜けで、何の反発もありませんでした。「あ、みんなもう知らないんだ」ということがよく分かりました(笑)。 今年(二〇〇三年)私は朝日新聞に、憲法改正についての論説と、亜細亜主義についての論説を載せました。両方ともデスクが突っ返してくることを期待したんですが、これまた何の抵抗もなくスルーしたんで、「ありゃ、ありゃ」という感じです。「民度が上がった」ので受け入れられるようになった──なんてことは、ありえないでしょう(笑)。 むしろ、何もかもが忘却の彼方にあるということなのです。とすれば、忘却の意味を理解するためにも、なぜ私が「WTO総会