2017年2月19日のブックマーク (2件)

  • 東京下町の町工場が15年で取引先を120倍にできた理由

    東京下町にある町工場が減り続けている――。かつて大田区や墨田区などの下町は、工場の集積地として栄えていたが、景気の悪化や、大手メーカーの生産拠点が海外へ移ったこともあり、年々縮小の一途をたどっている。墨田区では45年前に1万社ほどあった町工場が現在、約3000社にまで減少した。今もなお、減少が続いている。 しかし、そうした苦しい時代の中でも取引先を15年で120倍に、売り上げを20倍に増やし、成長し続けている町工場が墨田区にある。「精密板金加工」などを手掛ける浜野製作所だ。多くの町工場が姿を消していく中、一体なぜ同社は成長することができたのか。社長の浜野慶一氏に話を聞いた。 量産型から一品物・試作品の仕事へ 新しいことにチャレンジしなければ生き残ることはできなかった――。浜野氏はそう語り、当時を振り返る。 浜野製作所は1968年に浜野氏の父親、浜野嘉彦氏が創業。最初は部品を量産するために使

    東京下町の町工場が15年で取引先を120倍にできた理由
  • みんな忘れてるけど山本一郎は10年前の方が勢いあったのよ

    一郎の風向きが変わったのを見ていて、今から10年ほど前のことを思い出していた。 当時はツイッターはまだなく、ブログブームは落ち着いて、もちろんヤフー個人なんてのもなかった。 そして、その中で山一郎は新時代の書き手として、何やらすごい人というブランディングを確立していた。 多額の借金をDELL株で返済した天才投資家。一生分の資産は投資で築いたから、会社経営やブログは遊びでやっている。 今みたいに炎上ネタを暴くみたいなスタンスではなかったが(そもそも炎上するようなネタが当時はネットに転がっていなかった)、あたかも政財界を暗躍しているかのような書きぶりと、ネット民丸出しの面白全部な振る舞いがウケていた(後発の匿名掲示板を煽ったり)。 何が業なのかは今と同じように明かしていなかったけど、「大っぴらに書けないようなすごいことなんだろう」と思っていた。 ホリエモンとフジテレビを仲介しただの、月

    みんな忘れてるけど山本一郎は10年前の方が勢いあったのよ