江藤 小三郎(えとう こさぶろう、1945年(昭和20年) - 1969年(昭和44年)2月11日)は、日本の思想家、社会運動家、陸上自衛官。陸上自衛隊生徒(7期)修了。 1969年(昭和44年)2月11日の建国記念の日に、国会議事堂前にてガソリンをかぶって焼身自決した行為が、翌年の三島由紀夫の自決(三島事件)の決意に少なからず影響を与え[1]、のちの新右翼・民族派運動にも影響を及ぼした。 1945年(昭和20年)、神奈川県横浜市金沢区六浦に生まれる。父は維新の元勲江藤新平の孫で衆議院議員の江藤夏雄。祖父は新平の二男の江藤新作。新作は犬養毅の側近だった[2]。 1969年(昭和44年)2月11日の建国記念の日、国会議事堂前 (憲政記念館脇、井伊掃部頭邸跡の碑南) で遺書「覚醒書」を残して世を警め同胞の覚醒を促すとしてガソリンをかぶって焼身自殺する[1]。享年23歳。その行為は後の新右翼・民