先日善行堂が開く前に竹岡書店をのぞいてきた。前から絵葉書が少しあるのは知っていたがチェックしていなかったので、今回実逓便(実際に投函された郵便物)を探してみた。そうすると、何と「帝国大学心理学教室 岩井勝次郎先生」宛(昭和3年4月17日消印)があった。前に「京都市吉田」とあるので、京都帝国大学ということになる。また、「勝次郎」とあるが正しくは「京都帝国大学文学部心理学教室第三代教授岩井勝二郎の日記ーー書砦・梁山泊から貰った日記にビックリーー - 神保町系オタオタ日記」で日記を紹介した心理学教室助教授だった岩井勝二郎だろう。昭和3年当時は、講師であった。日記だけでなく、書簡も古書市場に出ていたのだ。慌てて購入、500円。 発信者は、「日華会館にて 鄭伯奇」と思われる。鄭は「鄭伯奇(ていはくき)とは? 意味や使い方 - コトバンク」に立項されている。明治28年生まれで、大正6年から日本に留学し
( )内はウツの注 学生になったときは学校はロックアウトされていて、3年までは通えなかった。4年になり学校が再開されたとき、何かしようと女性史研究会の門を叩いたのがすべての始まり。 全共闘世代が闘っていたまさにその当時、集会の後の茶碗と灰皿の片づけがなぜ女子学生だけなのか、ピケを張ったとき、食事の用意がなぜ女子学生だけなのか、という現実の疑問から、各地で女子学生による女性解放運動が始まっていた。 例えば、なぜ年に1度母の日があるのか?そのほかの日は感謝しなくてよいのか?それは女性を母性に押し込めるものなのでは?その日だけプレゼントを受けるのは未開明ではないのか?などの疑問が出る。それに対しての解答方法は、当時に特有の示威行為であった。母の日セールをしているデパートの入り口に、「母の日ハハハ!」なんていう横断幕を広げて立つ、というような。そこだけがマスコミに切り取られて、リブ運動
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