1995年1月、西浦博少年は、神戸に住んでいた。ロボコンやソーラーカーレースに興味を持って神戸市立工業高等専門学校電気工学科に通っていた。そして1月17日午前5時46分、神戸を大地震が襲った。 「電気工学の専門家だけど、なにもできない」 無力感に西浦少年はさいなまれた。 混乱のさなか、緊急医療人道支援活動を展開するNGOのAMDA所属の医師を見かけた。それを見て17歳の多感な少年は、工学から一転して医学の道を志した。 勉強の末、宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)に入学し、NGO活動にも参加する。ある日、途上国で麻疹とポリオの予防接種対策をやっている現場に行った。一つ一つの集落ごとに、誰が接種していて誰が接種していないかという表があり、そこに数式があった。 日本には求めている先生がいなかった 詳しく見ると、理論的に予防接種率が不足しているという結果が出ている集落では流行が頻発していた。逆に、