感染が広がる新型コロナウイルスの拡大を防ぐため、政府が5日に明らかにした中国・韓国からの入国制限。入国時に施設で2週間の待機が求められることになり、両国からの訪日客数がさらに落ち込むのは必至だ。長引く「コロナ不況」に、各地の観光関係者は落胆の色を強くしている。「これで再開がさらに見通せなくなった」。浜松市の温泉旅館で副支配人を務める男性は5日、声を落とした。同旅館は2019年から中国人団体客だ
三島由紀夫が一風変わった自殺したのは、1970年11月25日のことだった。自著にも書いたが私はその日のことをよく覚えている。中学一年生なのだからということもあるし、『潮騒』はすでに小学校6年生のときに既読で、彼のことをすでに知っていたせいもあるだろう。そして中1のときの若い国語教師は三島のファンでもあった。 その日の3日前、大宅壮一が死んでいる。その前月、テレビ対談収録後、息苦しさから入院し、心不全で亡くなった。70歳である。つまり、1900年の生まれだった。葬儀は28日、青山葬儀所で「マスコミ合同葬」であった。67年に「大宅壮一東京マスコミ塾」を開き、8期で480名の塾生を送り出していた。つまり、彼こそが戦後から60年代までのマスコミそのものだった。 三島の死から、大宅の死から、今年で半世紀になる。50年。どうなったか。 鶴見俊輔はこう言っていた(本書孫引き)。 五十年たってからの学者た
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