大正期を代表する作家。東京出身。1892年3月1日、牛乳屋を経営する新原(にいはら)敏三の家に生まれる。母はフク。辰年辰月辰日辰刻に誕生したことから龍之介と名付けられた。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。産まれる前年に長姉ハツが6歳で夭折している。ハツはとても利発で可愛がられていたが、母が食べさせたものが原因で病死し、責任を感じた母はノイローゼになって狐の絵ばかり悲しそうに描くようになった。生後9カ月で母親が心の病で精神病院に入った為、母の実家に預けられ伯母フキに育てられる。芥川家は旧家の士族であり、江戸時代は徳川家に仕え茶の湯を担当し、家には江戸文人の趣味が残っていた。 1898年(6歳)、小学校入学。芥川は早くから和漢の書籍に親しみ、小学生の頃からクラスメートと『日の出界』という回覧雑誌を発行していた。11歳で実母が他界し、翌年叔父(母の兄)の養子となり、名字が芥川になる。 小中と秀才を発揮