ロシア正教・教会の特徴であるあの玉葱ドームが、いつ頃、どういう意味・目的で出現したのであろうか? 教会建築の変遷を見ながら考察してみたい。 そもそも大型ドームは、537年に完成を見たアヤ・ソフィア大聖堂がその起源である。ペンデンティブドームという建築手法が直径30mという大ドームを可能ならしめたわけだが、ビザンチン形式の建築史における最大の貢献と言われている。しかし、ビザンチンの材料は煉瓦とモルタルが基本であり、ドームの工期短縮メリットもあったが、修復の繰り返しのため、ベネツィアのサン・マルコ寺院(11世紀)の例もあるが、中期以降のビザンチン建築は小型化していく。 6世紀末から帝国の崩壊、8~9世紀のイコノクラスム、暗黒時代を経て、中期ビザンチンでは、バシリカにドームを架けた平面からギリシャ十字のプランへの移行が見られる。教会建築はバシリカ方式と集中式に大別されるが、ギリシャ十字は長軸の方
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