衝撃的な悲劇から始まる物語 誰にでも、心の中にしまっている、ほかの人には明かしたくても明かしようがない過去の記憶というものがある。「明かしようがない」というのは、人間のある瞬間の忘れがたい出来事は、様々な微妙な要因が絡まり合って出来するものだから、その状況を適切にかつ十分に他人に納得いくように説明するのが極めて難しいという事情に起因する。 小説や映画などの表現手段は、ある意味で、このコミュニケーションのほとんど不可能な出来事の記憶を、その豊かなイメージで読者や鑑賞者の心に「ありえたこと」として呼び起こしてくれる魔法の媒介者と言ってもいいだろう。 1981年に公開された小栗康平監督のデビュー作「泥の河」は、まさにそういう喚起力を持った、心に沁みる秀作だった。 物語は、大阪の中之島を下って流れる安治川の河口近くの橋のたもとにあるしがない食堂の子の信雄とその対岸に停泊している船宿の子のきっちゃん