ゲームが配信されてから大分経ち、NEEDY GIRL OVERDOSEについての批評も大分増えてきました。 また、「あめちゃん/超てんちゃんに自我が存在せず、作り物のようにしか思えない」ということを書いたりする人もいます。 では、僕の考えはというと…… 「確かに超てんちゃん/あめちゃんは、男性オタクが妄想するお人形のような存在であり、そこに自我は存在しないようにみえる。しかし、そのような『お人形』に人間を変化させてしまうのが、まさしく配信文化というものであるという点で、やっぱりこのゲームは現代の配信者文化や若者文化をうまく描いている」 というものです。どういうことか、これから説明していきましょう。 「役」にすがりつくしかないまず、確かにIGNの記事が言うとおりに、超てんちゃんはもちろん、その超てんちゃんの「本音」として出てくるあめちゃんもまた、「男性オタクの喜ぶ女性像」そのものと言えます。