2017年2月28日のブックマーク (1件)

  • ドイツ語から見た、日本語における言葉の射程距離について|ふりこふりお

    ドイツに暮らしていると、大人も子供も1日に話す言葉の量は日の3倍は行くのではないかと思うことがある。そもそもより多くの会話をする文化であることもあるけれど、同じ1分あたりでも、そこに詰め込むセンテンスやワードの数が違う。これはドイツ語から日語への同時通訳をする人は痛切に思い知るに違いない。聞き取った内容をコアとなるメッセージに切り詰めて要約していかないと、とてもついていけないだろうからだ。それほど、使用される言葉の数が多い。 それはなぜなのか。ドイツ語と深くつきあうにつれ、ぼくはドイツ語そのものの持つ「性格」を感じ取るようになった。これはドイツ語の一種の擬人化なわけだが、その基的なマインドと性格はこういうものだと思う。 1. この世界に存在するものはすべて対象として認識されうる限り、必ず名前が付けられる。事象はすべて言葉で説明ができるし、しなければならない。外部世界の物理的現象もそう

    ドイツ語から見た、日本語における言葉の射程距離について|ふりこふりお
    gontama29
    gontama29 2017/02/28