第14回 比較をやめた時、私たちにもたらされる変化 2019.06.20更新 アイデンティティという語が用いられた話題は取扱注意だと思っています。「自分は何者であるか?」と問う分にはいいにしても、「私は○○という人間だ」といった言明で自分を確定しては、その言葉がいずれ呪縛となって、行き場を失わせてしまうことになりかねないからです。 前回、今という時代を生きる私たちの行動原則は怖れではないかと述べました。常に他人の言動や価値観、情報と比べてしまう癖がついているせいで、「自分が自分である」ことを素直に受け入れられないし、それどころか怖れています。しかも「今の自分であってはいけない。なぜなら他の人と比べて・・・」と自らの至らなさを数え上げる技にとても巧みになっています。 否定的な言葉遣いに妙に長けて自信が持てないとあっては「私は○○という人間だ」という言い切りは、どのような色合いを帯びるでしょう