『一等星の詩』という本で保坂和志さんが書いてくださったサザンの歌詞についての文章。恋をすることと、歌詞の中にある恋愛について書かれていて、「自分の恋愛よりずっとたくさん歌の歌詞を経験した気がする」という一文がある。歌詞の中にある「恋」こそが、自分の中に「自分自身の恋」として残っていく可能性。歌詞の中の恋の経験が自分の恋愛に重なり、時には補うこともあり、もはや現実だったのか歌詞だったのか、区別がつかなくなるような恋愛のこと。 わたしがそれを読んで最初に思い出したのは、百人一首における恋の歌だった。お題として恋があげられ詠まれることもあれば、自らの気持ちを相手にぶつけるために詠まれた恋の歌もある。それらはどちらも作品として残るし、虚構としての恋の歌と、もはや相手への干渉として生まれた恋の歌がこのように並列にあるのは不思議だと感じていた。簡単に言うと、後者はそれを耐えられたのだろうか、ということ