2013年秋から翌年にかけて、イギリス・大英博物館で大規模な春画(しゅんが)展が開催される頃から、日本へも同展を巡回すべきだと思う有志によって様々な努力がなされた。 その間、私も時折その紆余曲折した苦心談を聞くにつけ次第に日本という国自体が情けなくなり、やがて憤りに変じた。そこで、東京・永青文庫(えいせいぶんこ)での開催に向けて春画展日本開催実行委員会を組織するにあたり、私も名を連ねることとした。 展覧会名はシンプルに「SHUNGA 春画展」(12月23日まで)とされ、11月1日(月)の休館日を境に前後期に大きく分かれ、さらに各期が2期に分かれるという複雑な展示替が行われる。その一因には個人蔵の「小柴垣草紙絵巻」(こしばがきぞうしえまき、鎌倉時代、10月4日で展示終了)のように、将来二度と公開されないような作品が、数は少ないが含まれているせいである。 会場へ入ると、まず肉筆画の名品の部屋へ
大阪市立美術館で開催された「近世の大坂画壇」展(1981年)は、大坂画人を見直す重要な契機となった展覧会だった。当時の図録の書き込みを見ると、未だ学生の私は、大岡春卜(おおおか・しゅんぼく)の「羅漢(らかん)図襖絵」(京都・衡梅院〔こうばいいん〕)の羅漢の大胆な衣紋描写に感心したり、吉村周圭(よしむら・しゅうけい)の「群鶴図襖絵」(京都・佛光寺)の鶴の群れる姿に、葛飾北斎の「鶴図屏風」(神奈川・氏家浮世絵コレクション)を思い出してはニンマリしていたようだ。今から思えば両者の形に何の共通性もないのだが...。 ところで、この時出ていた林閬苑(はやし・ろうえん)の「仙人図」双幅の後向きに坐る人物描写の面白さに興味を持ったものか、その後この絵師に関心を持つようになり、売立目録などを注意して見るようになった。 やがて、関西大学が大坂画壇の絵師を精力的にコレクションするようになり、その成果も含めて大
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