ブックマーク / ten-navi.com (3)

  • 「人脈を広げる行為なんて無駄な時間」ポンコツ前座が、天才講談師・神田松之丞になるまで

    落語に近い話芸でありながらマイナーだった講談界に入門、「今一番チケットの取れない芸人」「若き天才講談師」と呼ばれるまでになった神田松之丞さん。 大名跡・神田伯山の襲名も決まっています。 現在の成功からは考えられないほど、前座時代はポンコツで、人付き合いも苦手だったとか。 周囲に評価されずとも、自分の夢を信じてブレずに進むことができたのはなぜなのでしょう。 そのシンプルな理由を探ります。 毒舌のつもりはない。他の人が音を言わないだけ。 神田松之丞(かんだ・まつのじょう)。1983年生まれ。講談師。高校時代に落語に出会い、浪人時代、芸人として生きる覚悟を決める。大学時代は観客としての目を磨き、卒業後、2007年三代目神田松鯉に入門。2011年二ツ目昇進、2020年真打昇進と同時に六代目・神田伯山襲名予定。持ちネタの数は10年で130を超え、独演会のチケットは即日完売。 ──真打昇進決定おめで

    「人脈を広げる行為なんて無駄な時間」ポンコツ前座が、天才講談師・神田松之丞になるまで
  • 「営業はできないけど、来たチャンスは全力で打ち返す」フリー素材モデル大川竜弥の無理をしない生き方

    誰かの生き方をお手にして、一生懸命にそのルールからはみ出さないように生きること。でも、果たしてそれは「自分に合った生き方」なのでしょうか。もし、今あなたが無理をしているとしたら。当は、心のどこかで辛いのだとしたら。それは、少し自分を見つめ直す機会なのかもしれません。 今回は、フリー素材モデルとして活動をしている大川竜弥さんにお話を伺いました。そんな大川さんが今の働き方にたどり着いた背景には「20代の頃に無理をして、体を壊してしまった経験」が大きく関係しているといいます。 「無理をしない生き方」を選んだ理由は? 「今が楽しい」と言う大川さんに、お話を聞きました。 20代、グイグイ行く営業ができなかった。そして、ついに体を壊した 大川竜弥(おおかわ・たつや)。さまざまな職を転々としたのち、フリー写真素材サイト「ぱくたそ」にてフリー素材モデルの活動をはじめる。自称・日一インターネットで顔写

    「営業はできないけど、来たチャンスは全力で打ち返す」フリー素材モデル大川竜弥の無理をしない生き方
  • 29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!

    2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停

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