スーパーマジレスに関するgosyuのブックマーク (2)

  • 買う本がないとか - finalventの日記

    ⇒買うがない 買いたい、読みたいというがなくなってしまった。 八重洲ブックセンターにいたら昔はいくらでも時間が潰せたのだが。 東京に戻って、私も八重洲に行って、あれ?と思った。我が青春の新宿紀伊国屋もそうだった。それほど楽しくない。神田古書街は面白いが、どうして若いころはこの街に終日いても足りないと思ったのだろうかと、いぶかしく感じられた。沖縄にいた頃は夢のジュンク堂だったが、2時間もすると疲労感はあった。それでも、ジュンク堂はすごいなとは思ったし、今でも好きだが、2時間もいられない。 私については、「買いたい、読みたいという」はある。この数年古書市場が充実しているので、ある意味では天国というか、昔読んだを探して買って再読する。中学生のころ、結局人生をこので変えたなというを再入手してうるうるしたりもする。 ああ、ちなみにその一つはこれですよ⇒「 愛はいずこに (1965年):

    買う本がないとか - finalventの日記
    gosyu
    gosyu 2009/07/16
    うーん、なんとなく分かる気がする……
  • 思想というものをチャートで示したりタイプ分けしたり - finalventの日記

    というのが雑誌の特集とかにあるし、まあ、それなりの基準でやっているのだろうけど、思想というものがタイプ分けできるなんて思う時点で、思想の欠落だろうな。 ある思想とある思想が、具体的な問題において、最低綱領的に合意できるということはあるし、社会というものに質的な妥協を是とするということはある。ただ、そこで、思想というのはゆずることがない。異論が明瞭に存在していることが民主主義なのであって、異論の摩滅化ではない。 思想というのは、個人の生き方のなかで、発生する。それ以外に根はない。なんでオレはワタシは生きづらいのか。社会は世界はなぜ「私」に対立するのかという自問自答のなかで、「私」の運命というか不可避の道はこれしかないなというところでその人の思想というものが現れる。それ以外は思想のような偽物でしかない。 追記 ⇒はてなブックマーク - 思想というものをチャートで示したりタイプ分けしたり -

    思想というものをチャートで示したりタイプ分けしたり - finalventの日記
    gosyu
    gosyu 2009/04/21
    ガクモンとして見た思想は便宜上チャート化しないとね、っていうのはある。例えば、文学史学んだって文学は理解できねー、って言うのはある意味正しく、ある意味間違っている。用途の問題かと思う。
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