こないだ図書館で本を3冊借りてきて、今折に触れ読んでいます。だいたい借りる本は仏教乗っ本かエッセイなんですが、今回は3冊ともエッセイで、笑えるような面白エッセイではないものの、楽しく読んでいます。 今回借りてきた本は私に取っては結構「当たり」。前にも書きましたが、文章が難解過ぎたら読解できませんし、あんまり肩の力が抜け過ぎてるのも好きじゃない。その辺は一応立ち読みして最低限チェックはするんですが、それでもチェックしきれなかったりすることもあるので。 それから、これは私のブログでもそうなんですが、日常の由無し事を書いた、特に世の中に物申すようなものがないのがいいです。まあ多少はね、例えば、「都市開発されて、子供の頃見慣れた風景はすっかり失われてしまった。寂しい」的なことがちょっと書いてあるくらいなら全然いいんですが、最近の若いもんはけしからんとか、政治がどうのとかいう話になっちゃうと、ちょっ
妻は気づきがいい人です。ここで言う気づきというのは、服にシミがついてるとか、体に埃がついてるとか、そういったことです。すぐに見つけて指摘してくれるので、外に出て恥をかかずに済み、感謝しています。 広告 しかし、私が気になっていた家の床のちょっとした埃とかを掃除機で綺麗にしたとかいうのには全く気づいてくれないのです。それでたまらず掃除機かけた事を告げると、そのときにようやく気づいて感謝してくれるのですが、普段の気づきの良さはどこに行ったのかとおかしくなります。 しかし本当は、妻が気づこうが気づくまいが、家が綺麗になったことだけを喜ぶべきで、感謝してもらおうとか、褒めてもらおうとかいうのは完全に煩悩の類いですよね。まさに無功徳。でもやっぱりちょっと褒められていい気分になりたい気持ちはまだまだ消えません。修行が足りんということですね。 ここで誤解して欲しくないのですが、感謝されたい、褒めてもらい
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