タグ

lifeとethicaに関するgraphのブックマーク (4)

  • キャリアアップ主義者の面影。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.07.11 キャリアアップ主義者の面影。 (9) カテゴリ:ヒラカワの日常 神戸北野ホテル宿泊。 さきほどまで、仕事がらみで 鷲田清一先生と夕飯。 大林組の長谷川常務、船橋くんらと歓談。密談。相談大阪大学の学長になることが決まって超多忙なのであるが、 それでも、哲学者鷲田さんは、悠揚として迫らぬ はんなりとした風情で 話は転々、淀川の川原に転び 心地よい時間を過ごすことができた。 大林組がタクシーチケットを出してくれたので、 そのまま北野ホテルへ向かった。 以前築地の場内すし屋をご案内した永末支配人から ご案内状をいただいており、一度はその「世界一」の 朝ってみたいと思っていたからである。 車中、ひとつの考えが浮かぶ。 いや、この間ずっと考えていたことである。 違法な行為があったとか、 態度が気に入らないとか言うこととは別に コムスンの社長、ヤンキー先生、ワタミの社長は

    キャリアアップ主義者の面影。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
    graph
    graph 2007/07/15
    なんか腑に落ちた。立ち位置の可塑性、あるいは出自の泥臭さを忘れないこと。
  • tapestry::reikon - さよなら目標

    十代後半から二十歳代にかけては、自分の将来に対して「こうなりたい」という大きな目標をいつも掲げては挫折を繰り返し、結局、「さえない自分」でしかない現状にため息をつく日々でした。それなりに仕事お金はもらっていたし、人づきあいも楽しんではいたけれど、自分の「なりたい」からは程遠く、そんな状況に対して常にジレンマ、焦りを抱いていました。三十歳の頃、自分よりも何倍も強い意志を持ち、掲げた目標に対して努力を惜しまずに猛進していく人たちと出会う機会がありました(その代表格は結婚した相手です)。その人たちとの出会いによって、これまでの自分がなぜ「さえなかったか」が手に取るように分かり、自分の中にあった意味のないプライドがズタズタに引き裂かれました。ああなんだ、自分は身の程をわきまえず、根拠のない自信ばかり持って高い目標を掲げ、それに対して努力もせず、目先の快楽に走る日々を送っていた軟弱者だったんだ。学

  • 極東ブログ: モラルの低い人を傍観する時

    このところぼんやり考えているが結論も出ないことがある。ただ、考えあぐねてきたので、少しブログにでも書いてみようかな。モラルの低い人を傍観する時のことだ。 話は私事からが切り出しやすい。私は沖縄で八年暮らしそれから東京に戻って四年になる。東京に戻ったころ、とにかくいやだったのは自転車だった。私は高校を自転車通学したくらいだから、自転車自体がいやということはない。が、その頃思ったのは、自転車に乗っている人のモラルがこんなにも低下していたのかという驚きだった。八年のうちに東京が変わったのか、それとも沖縄には自転車が少ないせいもあって感覚が変わったのか。個人的には前者のようにも思えた。私は、歩道を突っ走る自転車や二人乗り、無灯火、そういうやつらに誰彼かまわずどやしつけた。無法な警官もどやしつけた。ブログにも書いた。どうなったか。罵倒コメントをたくさんいただいた。そりゃそうだろ、世の中にあれだけ自転

  • 知ることの意味は何? - 記憶の彼方へ

    昨日講義を終えて研究室に戻り講義記録を書いていたら、ひとりの学生が訪ねてきた。相談があるという。一言では言えないその膨大な内容をその学生は言葉を選び選び慎重に慎重に言葉にした。「知ることにどんな意味があるのでしょうか」、「知らないほうが幸せではないのでしょうか」。「おー、来た、来た」と思って、私は嬉しかった。 問うことは難しい。上手に問うことができるようになれば、答えを手に入れたも同然である。抽象的な問いかけは少しずつ少しずつ具体的な問いかけに翻訳していくのがいい。そうすれば自ずと自分が当に問いたいことが見えて来る。 学生と対話しながら、私はかつての私、もう完全に赤の他人のような若い頃の自分を思い出していた。 大学1年のときだった。私は「科学史」の講義をとっていた。教えていたのは岡不二太郎先生で、数学者の岡潔の弟さんだった。私は高校時代受験勉強の合間に岡潔の随筆をよく読んでいて、数学者に

    知ることの意味は何? - 記憶の彼方へ
    graph
    graph 2006/11/13
    なんかいいなと思った。人間は今まで「知り続けて」ここまで来たのだから自分が放棄する訳にはいかないのだとも思った。
  • 1