慢性的なやる気不足のシンドロームを補うべく、気力ややる気を保つ思考法について考えることは多いのですが、今回は最近思ったことを書いておきます。 「苦労します」型のアティチュード 「努力します」、ではなく、「苦労します」、という意思のかたちの方が、よい場合があると感じるようになりました。 人に「ご苦労さま」、とたくさん言われるようなことをする。 自分で自分に「ご苦労さま」と言えるように心掛けるのでもいいでしょう。 なぜ「努力します」では不十分だと感じるのかというと、ぼく自身が主体的なモチベーションの希薄な、「自分のことを他人事のように考えやすい」タイプだからかもしれません。 苦労にモチベーションは必要ない 「努力」は「努力する」という、主観的な意志や動機を前提とします。 でも「苦労」は、ただ苦労しそうな状況に自分を追い込むだけでいいLet it beな行為であって、頑張ろうとして頑張るわけでな
…前にも似たような記事を書いたような気がするけれど、大事なことなので二度以上言ってもいいような気がするので。 ここ最近、ニコニコ動画を見ていて“壁パン”“壁持ってこーい!”といった文字をよく見かけるようになった。例えば『ソードアート・オンライン』『まおゆう 魔王勇者』などで男の子と女の子がキャッキャウフフなシーンになると、壁をドンドン叩くようなコメントが弾幕状に表示される。壁叩きだけでなく、もっと直接的に嫉妬が表明されることもある。コメントを字義通りに読むなら、「うわ、このアニメ見てる人達はみんな嫉妬しているのかー」となりそうではある。 もちろん、実際に強く深く嫉妬している動画閲覧者もいるのかもしれない。けれども動画を観ていて感じるのは「そういう真性の嫉妬者は殆どここにはいない。」「そうじゃなくて、嫉妬で繋がる一体感や連帯感」が気持ちいいんだ、ということだ。 最近の“壁パン”に限らず、ニコ
先々月に父が急死した。 もし親が死んでも自分は意外と平気でいられるんじゃないかと考えていた。何かを整理して考える力も大分ついてるし大丈夫かもしれないと侮っていたが実際はまるで平気ではなくて自分でも驚いた。体験を通さないと本当には分からないことが確かにある。 12月14日(金)の昼前、母から「父と昨日から連絡がとれない」とメールが入った。両親は離婚して別々に住んではいたものの、連絡を取り合ったり会ったりもたまにしていた。 前日が僕の誕生日で、田舎から両親の名義でお菓子が届いていたから、二人宛にお礼のメールを出していた。いつもは電話をかけてくる父親から返事がなかったから変だなとは思っていた。 僕の誕生日のこともあり10日ぶりに母も父に連絡をとろうとしたようだが、メールの返事もなく、電話も「電源が入ってない」のメッセージばかりだという。それで警察と部屋を見に行ってくるという。 事故か、失踪か、病
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