□藤田恭子(東北大大学院准教授)幾層にも重なる抑圧を際立たせた ドイツ語による文学は、ドイツやオーストリア、スイスだけでなく、東欧諸国にも存在する。中でもルーマニアは、1989年のチャウシェスク体制崩壊により多数のドイツ系住民がドイツに「帰還」するまで、規模も作品の質も群を抜いた存在だった。ヘルタ・ミュラーは、そんなルーマニア・ドイツ語文学を代表する作家の1人だ。 鉄のカーテンの向こう側で、西側に知られることなく育(はぐく)まれたドイツ語文学の土壌は抑圧の陰を深く帯びている。国民は秘密警察に徹底的に監視され、逆らえば報復された。ミュラー自身、秘密警察への協力を拒んだために職場を解雇されている。さらに国内のドイツ系マイノリティーは、ナチ体制下のドイツに協力しホロコーストを担ったとして「共同責任」を問われ、ソ連領への移送と強制労働、資産の没収などを経験した。だが、ミュラーがルーマニアのドイツ語