ブックマーク / chikataro5661.hatenablog.com (5)

  • ペットのネーミングセンス - 街角のコミュニケーション

    最近、動物病院に行く機会が増えた。娘(キャバリア・キングチャールズ・スパニエル12歳)が歳をとるにつれて、やたらと病気がちになったことで、週に一度の通院を余儀なくされている。娘の通う動物病院は毎回混んでいて、予約をしても30分や1時間待ちはざらである。受付を済ませ、待合室で診察の順番を待つ。待合室は、どこかを病んだ動物たちと献身的な飼い主たちでいつも溢れている。診察の順番が巡ってくると看護師に名前を呼ばれて診察室へ通されるのだが、呼ばれるのは動物たちの名前である、しかも飼い主の苗字を伴ったフルネームを大声で呼ばれるのだ。私はこの瞬間が好きだ。ペットにつけられる名前は飼い主のセンスの塊だと思う。そして飼い主たちの愛が込められている。それ自体は人間の子供に対する行為と同じであるが、対象が動物であるが故に多少奇抜な名前になることが間々ある。私は飼い主たちのペットへの愛情と背景を想像し、その一風変

    ペットのネーミングセンス - 街角のコミュニケーション
  • ときどき、想うひと (一)豊川さん - 街角のコミュニケーション

    大学の現役受験に失敗した私は、 半ば絶望しながら途方に暮れていた。 母子家庭の我が家に予備校に通えるほどの余裕はなく、 かといって独学で一年間の浪人生活を送る自信もなかった。 そんな私が選択したのは地元を離れて就職するということだった。 当時の私は、予備校にも通えず、 進学を諦める自分が負け犬のような気がしていたので、 とりあえず、 自分を知る人のいない土地へ逃げたかったのだと思う。 そして地元の職安に通い、5月に入って間もなく神奈川の平塚にあ る運送会社に事務職を見つけ、就職を決めたのだった。 世の中の同い年の多くが夢と希望に満ちた新生活を始めようとして いるとき、私は運送会社の独身寮に、 野良のような悲壮感をまといながら転がり込むことになったのだ 。会社の独身寮の住人のほとんどはトラックの運転手で、20代か ら50代と年齢層こそバラバラなものの、 みんな昔はやんちゃしてたと思わせるよ

    ときどき、想うひと (一)豊川さん - 街角のコミュニケーション
  • 謝るアスリート - 街角のコミュニケーション

    試合に負けたり、結果が出せなかったとき、謝るアスリートがいる。先日行われた全国都道府県対抗駅伝でも、優勝こそかなわなかったものの、3位とか、4位とか、わりと上位でフィニッシュしたチームのアンカーの選手が、手を合わせて「ごめんなさい」と拝むようにゴールテープをきっている姿を目にした。こうした、アスリートの謝るという行為を、とりわけ私たち日人はときどき見かけることがある。その献身的な姿は感動ものでもあり、時に痛々しい。「みんなの期待に応えられなくて、ごめんなさい」「チームに迷惑のかかるプレーをしてごめんなさい」「大事なところでミスしてごめんなさい」。そんなアスリートたちの行為に対して、私たちはちっぽけな老婆心から “あなたたちは十分よくやった。だから謝る必要なんてないよ”なんて感情を抱いたりすることも多い。なかには“見ているこちらが辛くなっちゃうからやめてほしい”と感じる人もいるだろう。私は

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  • クロちゃんの番組企画と、日本人の群衆行動 - 街角のコミュニケーション

    先日、TBS系のバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』の人気コーナー「MONSTER HOUSE」が最終回をむかえた。番組の終盤は生放送となり、視聴者参加で国民投票が行われ、コーナーの主役である安田大サーカスのクロちゃんが豊島園に設置された檻に収監されるという内容だった。まあ、ここまではあくまでも番組内の企画なので、視聴者がそれぞれ面白いか、面白くないかを勝手に判断すればいい。ところがこの企画には続きがあって、収監されたクロちゃんを一般公開した。豊島園はこのために園内を無料開放したのだ。けっこう深い時間にも関わらず、豊島園には多勢の人が殺到し一部が暴徒化したというのだ・・・。もう、死んでくんないかな。私が腹をたてている対象は、こんなくだらない企画をした番組ではない、この企画に無計画に乗っかった豊島園でもない。こんなアホ企画に煽動された群衆たちだ。厳密に言うと、煽動された挙げ句、集団となって

    クロちゃんの番組企画と、日本人の群衆行動 - 街角のコミュニケーション
  • サッカー日本代表、お疲れさまでした。彼らに「惜しい」は必要ない - 街角のコミュニケーション

    サッカー日本代表のメンバーへ、当にお疲れさまでした。 大会が始まるまでは、ほとんど期待していなかった私だが 試合を重ねるごとに彼らの戦いに魅了された。 死闘となったベルギーとの一戦は、最後までドキドキしながら見ていた。 結果は残念だったが、ここまで日中を熱く、感動させてくれた彼らには心から感謝したいと思う。 この一戦、私のような素人からすれば「惜しい」試合だったと感じるのだが 「惜しい」に全く意味のないことを選手たちは痛いほど分かっている。 よく、選手たちが「結果がすべて」と言っているのを耳にするが、勝負事とはそういうものだ。 この感覚、当事者じゃないと分からないし、来、当事者しか言えないことだと思う。 私たち素人風情で「結果がすべて」なんて言ってるやつがいたら、はり倒してやりたい。 こういう国を背負っての勝負とはほど遠いのだが、私の世界にも勝負事はある。 世の中は勝負だらけなのだ。

    サッカー日本代表、お疲れさまでした。彼らに「惜しい」は必要ない - 街角のコミュニケーション
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