それは一・被差別部落の事件というより、ひとりの「人間の事件」だった。福岡・筑後地方のとある〈ムラ〉で、「全国水平社」結成以来の解放運動百年史に泥を塗るようなその事件は起きる。平成15~21年に亘り町長や学校長、さらには自分自身宛てに44通もの〈差別ハガキ〉を匿名で送りつけたとして、県警は立花町役場嘱託職員〈山岡一郎〉(仮名)を偽計業務妨害容疑で逮捕、同21年には懲役1年6月、執行猶予4年の有罪判決が下った。 高山文彦著『どん底』は、この稚拙にして悪質な前代未聞の事件の深層に迫ったルポということになろうか。事実は小説より奇なりとは言うが、山岡を駆り立てたお粗末すぎる野心といい、事後に見せる狡猾さといい、人間心理の不可思議さを切り取る実録として、誤解を恐れずに言えば犯罪小説顔負けに“面白い”のである。 そう。この憎むべき事件を起こした彼こそは普通の人間ではないか……そんないやに共感めいた悪寒が