はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基本的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日本がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし
リンク集はこちら。 m-dojo.hatenadiary.com ただURLを並べただけだが、こんな簡単な作業も、40回を超えるとなると ちょとへとへと…。 しかし不屈の闘志でこちらもリンクの追加を継続してるのである。 【町山智浩・柳下毅一郎の問題発言集】が、最近のメインコンテンツ。 ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判 (映画秘宝COLLECTION (20)) 作者:智浩, 町山,毅一郎, 柳下メディア: 単行本ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判〈2〉 (映画秘宝COLLECTION) 作者:智浩, 町山,毅一郎, 柳下発売日: 2004/08/01メディア: 単行本ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判 3 (映画秘宝COLLECTION 37) 作者:町山 智浩,柳下 毅一郎発売日: 2007/02/26メディア: 単行本(ソフトカバー) あと、最近は
「ナポレオン 覇道進撃」(長谷川哲也、コミックアワーズ連載)は、いま欧州各国の対仏連合軍によってパリが陥落し、ナポレオンが皇帝を退位するか、最後まで戦って戦死するか……・というところを描いている。 ナポレオン覇道進撃 パリ陥落、皇帝退位へ年号でいうと1814年。日本では化政文化が爛熟した時代だ。 じつは自分の知識としては ・1804年にナポレオンは皇帝に即位 ・しかし1812年に、ロシア遠征が冬将軍の猛威もあり失敗 www.youtube.com ・その後…「いろいろあって」降伏し退位 ・しかし間もなく、隙を見てエルバ島から復活、いわゆる「100日天下」を得る ・しかしワーテルローで敗北、セントヘレナに再度流され生涯を終える みたいな、ざっとした知識しか持ってなかったのだよ。だからナポレオンが1回目の敗北・退位をする経緯というのを、今回あらためてきちんと知った。 (池田理代子の「エロイカ」
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