あえて「8月の」と記述したのは、他の季節にはこれほどの平和論はまず高まりを見せないからだ。 「8月の平和論」は、いつも内向きの悔悟(かいご)にまず彩られる。戦争の惨状への自責や自戒が主体となる。とにかく悪かったのはわが日本だというのである。「日本人が間違いや罪を犯したからこそ、戦争という災禍をもたらした」という自責が顕著である。 その自責は、時には自虐にまで走っていく。個人で言えば、全身の力を抜き、目を閉じ、ひたすら自己の内部に向かって自らを責めながら平和を祈る、というふうだと言えよう。そして、いかなる武力の行使をも否定する。 こうした反応は自然であり、貴重でもある。日本国民が戦争によって悲惨極まる被害を被ったことは言を俟(ま)たない。その悲惨を繰り返さないためには、平和を推し進めねばならない。8月の平和の祈念は、戦争犠牲者の霊への祈りとも一体となっている。戦争の悲惨と平和の恩恵をとにかく