「ただの記号論なんですよ、セルなんて。マーカーでアスカの絵が描いてあって、そこから宮村優子の声がすれば、もう十二分にアスカなんですよ」 庵野秀明が『月刊Newtype』のインタビューでそう言ったのはもう二十数年前の1996年6月号、最終回26話が放映されてファンの間で大論争になった直後のことだ。それはセルアニメーションにこだわるアニメファンを痛烈に批判し、これはただの紙に描かれた絵だ、現実に帰れと突き放す当時の有名な文脈の中で出た発言ではある。 だが逆に言えばその言葉は、日本のアニメーションにとって声優という存在がどれほど大きな存在であるか、キャラクターの身体性とヒューマニティ、アスカがアスカである自己同一性が宮村優子の声によってかろうじて視聴者と繋がれていることを意図せずに吐露した作り手の告白にもなっている。 エヴァンゲリオンのアフレコにおける庵野監督のこだわりを知らないファンはいない。
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