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サッカーと内田篤人に関するguraliのブックマーク (10)

  • 叫ぶ内田篤人、目を閉じる内田篤人。写真で振り返る「22番」の冒険記。(千葉格)

    2010年7月、内田篤人はドイツに渡った。2010年11月、僕もドイツに渡った。 内田は前年までJリーグ3連覇を成し遂げた鹿島の主力。日本代表としても、プレー機会こそなかったが南アフリカワールドカップにも参加した、日で最も注目される選手の1人だ。 一方こちらは、Jリーグでの撮影経験も5試合程度の自称若手カメラマン。サッカーを撮りたい一心で無謀にもヨーロッパに移住した。行き先にドイツを選んだのは、サッカー大国の中ではビザ取得が容易だったから。日人選手数人がブンデスリーガでプレーしていたことは、必ずしも理由ではなかった。 つまり、当時の自分は「強豪シャルケに加わった日本代表DFを追い続けることでひと花咲かせよう!」なんて、ちっぽけな野望すら抱いていなかった。 しかし、ドイツに渡るとすぐに内田を撮影する機会は増えていく。 力強く握った拳が物語る激闘。 2010-11シーズン、シャルケはチャン

    叫ぶ内田篤人、目を閉じる内田篤人。写真で振り返る「22番」の冒険記。(千葉格)
  • 内田篤人が指名した意外な重要人物。夏の移籍も「憲剛さんに相談したの」。(了戒美子)

    内田篤人が鹿島に戻って、早1カ月が経とうとしている。全てをかなぐり捨ててでも、もう一度活躍を誓う。そんな決意に満ちた移籍だ。 鹿島への恩返し、経験の還元ももちろんミッションとして抱えながら、内田は気で、W杯メンバーに滑り込もうとしている。 しかし、だ。 思い返してみると'14年ブラジルW杯当時、コロンビア戦で日の戦いが幕を閉じた直後、テレビ取材でも、ミックスゾーンでも内田は言っていなかっただろうか。 「(代表引退に関して)ずっと考えていた。人には言っていなかっただけ」 ハリルホジッチ監督就任以降は、最初のキリンチャレンジカップで招集され、出場したのみ。負傷とリハビリにほとんどの期間を費やしたのが理由ではあるが、一体どこで内田は代表入りを望むようになったのか。 なんとなくの気持ちはわからないでもないが、どこで大きく舵を切ったのか。Number944号のインタビューの際に尋ねてみた。 「や

    内田篤人が指名した意外な重要人物。夏の移籍も「憲剛さんに相談したの」。(了戒美子)
  • 内田篤人の帰還と、小笠原満男。昨年冬に語った「鹿島の血の継承」。(西川結城)

    内田篤人、そのスマートな佇まいとは裏腹に、鹿島仕込みの勝利への執念は誰よりも深い。小笠原の魂を継ぐ存在となるのか。 内田篤人が、鹿島アントラーズに戻ってきた。 約7年半ぶりのJリーグ復帰。2015年以降、長らく膝のケガに苦しみ満足なプレーができていないのは周知の事実だ。ロシアW杯まであと約半年となったいま、日本代表復帰も見据え、最後の望みをかける思いもあるのかもしれない。 普段、私は内田の取材をしていない。彼と仲の良い選手を何人か取材していることもあり、内田とは現場などでは顔見知りだったが、選手と記者の関係で密に会話することはそれまでなかった。 昨年はじめ、初めて内田が当時所属していたシャルケの練習場を訪れた。いつもの雑誌や新聞記事の作成ではない、個人的に掲げたあるテーマについて複数の選手に取材する中で、彼にも話をぶつけたのだった。 記者として目の前に現れた私に、内田は初めキョトンとしてい

    内田篤人の帰還と、小笠原満男。昨年冬に語った「鹿島の血の継承」。(西川結城)
  • W杯で酒井高徳が触発された「内田篤人のプレイ」 (3ページ目)

    だが酒井高は、ブラジルW杯でそれだけでは足りない、ということを痛感した。W杯の舞台に立って、さらに活躍するには、まだ重要なことがあるとわかったという。それを示してくれたのは、代表のチームメイトである内田篤人だった。 「ブラジルW杯では、みんながんばっていたけど、力を出し切れなかった選手もいた。でも、篤人さんだけは(他の選手と)ちょっとプレイの質が違っていて、心強いな、と思った。それは所属クラブ(シャルケ/ドイツ)で、欧州チャンピオンズリーグや欧州リーグなど、世界的にも大きな大会に出場してきた経験があるからだと思うんです。それが今、自分にとって、いちばん必要なことかな、と思いました。今後は、国際舞台でプレイする経験をより積んでいかないといけない。もちろんそれは、自分の力だけではできないことですが、クラブ(シュツットガルト/ドイツ)に戻って、チームがそういう舞台で戦えるようにがんばるしかないで

    W杯で酒井高徳が触発された「内田篤人のプレイ」 (3ページ目)
  • 内田篤人インタビューVol.2「自分たちのサッカーという言葉が一人歩きした」 (ゲキサカ) - Yahoo!ニュース

    ブラジルW杯で1分2敗のグループリーグ敗退に終わった日本代表において、孤軍奮闘とも言えるパフォーマンスを見せたのがDF内田篤人だった。ピッチに立つことができなかった南アフリカW杯から4年。ブンデスリーガのシャルケで一回りも二回りも大きくなって挑んだブラジルW杯では全3試合にフル出場したが、チームとして結果を残すことはできなかった。シャルケでの5シーズン目を控え、日が誇る右サイドバックは今、どんな思いを持っているのか。ゲキサカが直撃インタビュー――。 ―南アフリカW杯後からのドイツでの4年間は充実していましたか? 「チャンピオンズリーグももちろんですが、ブンデスリーガでも優勝争いに絡んでくれば、しびれるゲームができますし、国内だけでなく、国外のビッグクラブと渡り合えることで、自分自身の位置づけ、このあたりの順位にいるのだなということが分かります。国際舞台を経験することで分かるものです」

    内田篤人インタビューVol.2「自分たちのサッカーという言葉が一人歩きした」 (ゲキサカ) - Yahoo!ニュース
  • 普段通りを心掛け、大舞台で堂々たるプレーを見せた内田が明かす「4年間の苦悩」 | サッカーキング

    2月9日のブンデスリーガ・ハノーファー戦で右太もも裏を痛め、公式戦から4か月近くも遠ざかった内田篤人(シャルケ)。5月27日のキプロス戦(埼玉)で戦線復帰し、6月初旬にアメリカ・タンパで行われたコスタリカ戦、ザンビア戦で少しずつ出場時間を伸ばし、2014年ブラジル・ワールドカップ番に備えていた。それでも、大会前は「試合勘が不足している内田が3試合をフルで戦い抜くのは難しいだろう」という見方が大勢を占めていた。 ところが、「普段通り」を心掛ける内田は14日の初戦・コートジボワール戦(レシフェ)から攻守両面で堂々と世界と対峙した。長友佑都(インテル)と香川真司(マンチェスター・U)の左のラインが相手に研究され、持ち味を全く出せなくなる中、内田の右サイドは攻撃の起点としてチームを活性化していた。 その流れは19日のギリシャ戦(ナタル)、24日のコロンビア戦(クイアバ)も変わらなかった。ギリシャ

    普段通りを心掛け、大舞台で堂々たるプレーを見せた内田が明かす「4年間の苦悩」 | サッカーキング
  • 露にした感情、勝負観、代表引退。内田篤人が見せたもの、語ったこと。(寺野典子)

    右脚にはいまだにテーピングが巻かれているが、それを全く感じさせないプレーで攻守ともに誰よりも自らの持てるものを発揮した内田篤人。 試合終了の笛がスタジアムに響くと、ソックスをおろし、ひもを外した。 ピッチ中央に集まるチームメイトとは違う方向へと、内田篤人は歩いていた。そしてベンチの中央に座り、スタジアムをしっかりと見渡したあと、下を向いた。その肩が震えていたかまでは、わからない。 しかしチームスタッフに肩を抱かれ、スタンドのサポーターの元へ挨拶に向かうために立ち上がった内田は、その腕で顔をぬぐった。サポーターの前で深々と頭を下げたあとは、最後まで顔をあげられなかった。しばらくは、頭を垂れたままだった。 「どうしても勝ちがないと、報われない気はする。でもまあサッカーやってきて、そういう努力というのは、報われないことのほうが多い。それが、勝負の世界かなという気がしますけど。報われるときなんて

    露にした感情、勝負観、代表引退。内田篤人が見せたもの、語ったこと。(寺野典子)
  • 2014サッカーワールドカップ – ブラジルにかける。内田篤人特別インタビュー:朝日新聞デジタル

    内田篤人スペシャルインタビュー ブラジルにかける。 4年に1度の大舞台を、DF内田篤人(26)=ドイツ・シャルケ=は待っていた。前回南アフリカ大会は開幕前に定位置を失い、1秒もピッチに立てなかった。直前の負傷を克服して間に合わせた今大会。かける思いは強い。 聞き手・構成:中川文如  写真:小宮路勝 ――2月9日のドイツ1部リーグで右太もも裏の肉離れ、腱(けん)断裂を負いました。 「最初の診断は肉離れだけだったんだけど、再検査を受けたら、手術が必要だと。メスを入れたらW杯に間に合わない可能性があるので、すぐ帰国し、鹿島時代からお世話になっている医師に診てもらった。『手術せずに治す』と言ってくださり、ようやく前向きになれた」 ――4年前のW杯イヤーも、原因不明の吐き気に悩まされました。 「だから重傷だとわかった瞬間に感じた。やっぱりW杯には縁がないのかもって。ザッケローニ監督に拾ってもらってメ

    2014サッカーワールドカップ – ブラジルにかける。内田篤人特別インタビュー:朝日新聞デジタル
  • ドイツで成功した意識改革 内田「今は守備の方が楽しい」 | ゲキサカ

    3戦全敗に終わったコンフェデレーションズ杯でさまざまな課題が浮き彫りになった日本代表。その中で確かな存在感を示したのがDF内田篤人だった。ブラジルとの開幕戦では、マッチアップしたFWネイマールに粘り強い守備で対抗。オーバーラップからのクロスという攻撃力に加え、ドイツに渡ってからの3年間で守備力にも磨きをかけてきたことをピッチ上で証明した。日本代表の現在の立ち位置、そして課題は――? 進化する右サイドバックが、ゲキサカの独占インタビューに答えてくれた。 ―あらためてコンフェデレーションズ杯を振り返ってみて、どんな大会でしたか? 「(開幕戦の)ブラジル戦は自分たちの準備がうまくいかなかったというか、試合に入っても自分たちのサッカーをやらせてもらえなかった。でも、自分たちがしっかり気持ちを持って、しっかり準備ができれば、イタリア戦のようにやれた試合もあった。相手どうこうよりも、まず自分たちがしっ

  • 元日本代表・名良橋晃が徹底解析 長友佑都、内田篤人、酒井宏樹…… 日本のサイドバックは世界を制するか? (フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース

    日本代表・名良橋晃が徹底解析 長友佑都、内田篤人、酒井宏樹…… 日のサイドバックは世界を制するか? フットボールチャンネル 6月8日(土)17時15分配信 ■急激に輝きを増す日本代表のサイドバック ここ数年、急激に輝きを増しているエリアがある。日本代表にとって、中盤以外でもう一つのストロングポイントとなり得るポジション――。それがサイドバックだ。 その他の写真付き記事『日のサイドバックは世界を制するか?』  欧州のクラブの視線はすでに、このポジションの日人に注がれている。 10年夏に長友佑都がイタリアに、内田篤人がドイツに渡って門戸を開くと、安田理大がオランダへ、酒井高徳がドイツへと続き、昨夏には酒井宏樹が後を追った。また、契約こそまとまらなかったが、駒野友一もベルギーのクラブからオファーを受けた。 「現代サッカーではSBの重要性が高まっているだけに、これだけ多くの選手が欧州

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