2019年1月23日のブックマーク (1件)

  • 『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その64 - てぃーえすのメモ帳

    その63(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/22/000100)の続き。 五月、遣楚人陸賈使南越、立尉佗為王。 佗者、秦時為南海郡尉。因天下之亂、遂有南越。 賈至、尉佗椎髻箕踞見賈。賈曰、足下中國之人、親戚昆季墳墓在真定。今足下反天性、棄冠帯、欲以區區之越、與天子抗行為敵國、禍且及身矣。天子聞君王南越、不助天下誅暴秦、將欲移兵於王。天子為百姓勤勞、遣臣授君王印綬、剖符通使。王且郊迎北面稱臣、乃欲以新造未集之越、屈彊於此。漢誠聞之、掘燒王先人墳墓、夷滅宗族、遣一偏將、將十萬師以臨越。越人即殺王降漢、如反手耳。於是尉佗乃蹶然起坐而謝曰、吾居蠻夷中久、殊失禮儀。因問賈曰、我孰與蕭何曹參賢。賈曰、王則賢矣。復問我孰與皇帝賢。賈曰、皇帝起豐・沛、討暴秦、誅彊楚、為天下興利除害、繼五帝三王之業、統治中國、政由一家。自天地剖判已來、未曾有也。今王衆不過數十

    『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その64 - てぃーえすのメモ帳
    gureneko
    gureneko 2019/01/23
    「我孰與皇帝賢」 どっかの故事に出てきたのと似た言い回しだ~。 領土面積での勝負を最初から最後まで捨てているあたり、あの故事の王より確かに賢そう。