秩父鉄道 @mine_o 僕は私大文系なのに日本史も世界史もやってないゴミだから、歴史の教養とかの話になるとたぶんものすごい恥ずかしいことになる。で、いまさら勉強しているけどこういうのってアスペルガー力がマックスだった中高生のときにやるべきだよなあ。人生失敗したなあ
蔣 欽[1](しょう きん、? - 219年)は、中国後漢末期の武将。孫策・孫権に仕えた。字は公奕。揚州九江郡寿春県の人。子は蔣壱・蔣休。『三国志』呉志 に伝がある。 生涯[編集] 周泰と共に孫策に仕えた[2]。袁術に身を寄せていた時代から孫策の側近であったという。孫策が江東に進出すると、別部司馬となり、兵士を与えられた。孫策に従って三つの郡を平定し、さらに豫章郡に進出した。また葛陽県尉となり、三つの県の県令も務めた。山越の不服従民を征服させた時は、会稽の西部都尉となった。 建安13年(208年)、会稽や東冶においても、呂合や秦狼といった不服従民が反乱したため、呂岱と協力してこれを討伐し、彼等を捕虜とし五つの県を平定、討越中郎将となり、経拘と昭陽を奉邑として得た。後に黟県を転戦し、蔣欽は賀斉と共に出撃して黟県の反乱の討伐に向かうと、一万の兵の指揮を執ってこれに協力し、反乱を平定した。 建安
南北戦争以前のアメリカ合衆国南部では、奴隷に「読み書き」を教えた白人は厳しく罰せられた。 フレデリック・ベイリーは奴隷だった。 1828年、ベイリーは、農園からメリーランド州ボルティモアの街に連れて来られた。 彼の新しい「主人」は、ヒュー・オールドという男だった。 仕事は、野良仕事から内働きに変わった。 周囲の環境も、単調な農園からにぎやかな街へと変わった。 街には、店の名前を記した看板やポスターがあった。 それから、文字を読める人間がいた。 ベイリーはある日、彼の運命を変えるような発見をした。 壁や紙の上に書かれている「模様」と、それ見ている人間の唇の動きに関係があることに気付いたのだ。 そこから、彼がその国の歴史を変えるまでには、まだまだたくさんの時間が必要だった。 しかし、それからは坂を転がり降りるようだった。 苦難や危険がなかった訳ではない。 だがもう、ベイリーは元に戻ることはなか
僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどういうコンテキストの中に埋め込まれているかを知るための知識であると認識するに至りました.未来の予測は各人が頭を絞っていくしかないと思うのですが,今と過去の把握は勉強である程度どうにかなるものです.そして,過去と今を知ることは,未来を予測する助けとなると考えるに至りました. そのような問題意識を踏まえて,教科書にあるような過去から時系列順に学んでいくスタイルではなくて現状を分析するための知として世界史に興味を持っています. こういった僕の興味を含めて,民族紛争や政治経済の問題に関してコンテキストを含めて理解できるようになる本を紹介していただきたいと思います. あと,細かい条件を述べておきます. -知識がなくても読める本が好ましいです.
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