沖縄が還るまで戦後は終わらない“待ちの政治家”と呼ばれ、ぎりぎりになるまで本心を明かさない慎重居士・佐藤栄作総理大臣が1965年8月那覇空港でこう述べたことは沖縄のみならず本土においても大きな共感を呼び起こした。 それは外交当局にとっては青天の霹靂でもあった。 ベトナム戦争の泥沼に深入りしているアメリカが沖縄返還交渉に積極的になることは到底考えられなかったからだ。 もし交渉が始まったとしてもその態様、つまり基地のあり方ー核抜きか否か、自由使用か本土並みかーについては日米間、および両国の内部に大きな意見の対立があって簡単に歩み寄れるとは考えられない。 アメリカには、若者の血を流して戦い取った沖縄を自分では軍隊も持たずにアメリカに頼り切っている日本にこの非常時に返還することなど言語同断、基地使用に何らかの条件が付されることすらも許されないという考えから、いずれ日本に返還することは当然だとしても