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歌田明弘とMediaに関するgyantaのブックマーク (4)

  • マスメディアの衰退を促進する判決?: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    マスメディアよりもネットが自由に書ける 法的裏付けともいえる法律判断が出た。 この判決が確定すれば、 基的なメディア状況が変わるかもしれない。 ●表現の自由とプライバシーの侵害のどちらが気になる? 数年前に、田中真紀子元外相の娘のゴシップが「週刊文春」に出て、同誌の発売差し止め請求が行なわれるという事件があった。 表現の自由とプライバシーのどちらを重視するか新聞などでも意見が分かれたが、そのとき300人ぐらいの学生に、どう考えるか聞いてみた。 すると、圧倒的にプライバシー重視派が多かった。 ある男子学生が、「だって、自分のプライバシー、暴かれたらイヤだもんな」とぼそっと口にしていたが、この言葉がその理由を端的に示している。 日ではたいていの人は「表現の自由が脅かされる」という危機感が体験上あまりない。 しかし、報道被害やプライバシーの侵害については、実際の被害のあるなしにかかわらず、さ

  • 「個人の情報発信はマスメディアとは違う」のか?: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    ネットが広がると同時に始まったともいえるタイトルのような問いに、 法的な指針がひとつ出された。 「誰もが情報発信者」の時代ならではの興味深い判決だ。 ●「困りもののマスコミ」 「マスコミには困ったものだ」というのは、ネットではことのほか盛り上がるテーマだ。 私もこの欄でそういう調子で書いたことは何度かあるが、このところできるだけそんなふうには書かないようにしている。 雑誌で原稿を書いている私が「マスコミの人間」ということになるのかどうかはよくわからない。ひとりで原稿を書いているので、自分ではそういう意識はない。 新聞などのオーソドックスなメディア組織の人々には、「あいつはマスコミの人間ではない」と思われ、一方ネットでは、「あいつはマスコミの人間だ」とコウモリのような存在になっているのかもしれない。しかし、そもそも雑誌というのは、客観性を重視する大手マスコミと個人の情報発信のあいだのような存

  • タッチパネル・リモコンでテレビを操作する時代が始まる?: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    いまのリモコンは旧時代の遺物と書いたら、 思わぬ反響があった。 その結果、ネット時代の弱点と 新たなサービスの可能性に気がついた。 ●すでに出ていたディスプレイ・リモコン 欄の原稿がきっかけで、ふたつの講演依頼が来た。ひとつはケーブルテレビのイベントで、もうひとつはネット系のシンポジウムだったが、こちらは タイミングが悪くて引き受けられなかった。週刊アスキーの1回のコラムでふたつの団体からすぐに講演依頼が来たのは初めてだったので、びっくりした。 そのとき書いた原稿はこんど出したに も収録したが、テレビ番組やネットの動画コンテンツを横断的に検索し、居間の大画面テレビで映し出す未来生活を予想した。そして、細かい電子番組表はテレ ビに表示するよりも、手もとのディスプレイに表示したほうが見やすいのだから、ディスプレイ付きのリモコンにしたらいい、と書いた。こうした装置でネット にアクセスできれば

  • ネットはテレビをどう呑みこむのか?: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    連載を大幅に改稿してアスキー新書で『ネットはテレビをどう呑みこむのか?という(右の)にしました。 内容を簡単に言えば、テレビがネット端末になって、ネットのコンテンツがテレビに溢れる、その過程のすったもんだ、とメディアの未来に関するです。 まえがきと目次を載せておきます。 ●まえがき――大きな変化を目の前にして テレビはネット端末になろうとしている。そうした時代には、どんなことが起こっているのだろうか。 「テレビがネット端末になろうとしてい る」といえば、若い世代を中心に、当然そうなるだろうなと思う人がいる一方で、そんなはずはないと反発する人もいるかもしれない。しかし、インターネット でテレビのコンテンツが配信されるということは、テレビ番組がネットのコンテンツのひとつになるということにほかならない。膨大なネットのコンテンツのひ とつになったテレビ番組は、当然ながら、現在のような地位を保

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