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ブックマーク / blog.tatsuru.com (3)

  • 未曾有の災害のときに - 内田樹の研究室

    3月13日 東日巨大地震から三日目。 朝刊の見出しは「福島原発で炉心溶融の恐れ」と「南三陸町で1万人行方不明」。 16年前の大震災を超える規模の国家的災厄となった。 これからどうするのか。 このような場合に「安全なところにいるもの」の基的なふるまいかたについて自戒をこめて確認しておきたい。 (1)寛容 茂木健一郎さんも今朝のツイッターで書いていたけれど、こういう状況のときに「否定的なことば」を発することは抑制すべきだと思う。 いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。

  • コピペはダメだよ、について - 内田樹の研究室

    卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。 「出典の書誌情報を明記しなさい」 この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。 それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。 「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺をべるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。 しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。 それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。 自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。 自己

  • 礼について (内田樹の研究室)

    大学院では後期に家族論を講じている。 前期は教育論であった。 『街場の教育論』はミシマ社から、『街場の家族論』は講談社から来年中には出版されるので、私がどのような妄説を教場で獅子吼しているかを知りたい方それらの作物を徴されたい。 先週は小津安二郎に関連して「家族とは何か?」という質的な問いをめぐって論じた。 だいぶ前に『ミーツ』書いた家族論が『村上春樹にご用心』に再録された。その中に私はこう書いている。 「人々が集まったとき、ある人がいないことに欠落感を覚える人と、その人がいないことを特に気にとめない人がいる。その人がいないことを『欠落』として感じる人間、それがその人の『家族』である。その欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。家族とは誰かの不在を悲しみのうちに回想する人々を結びつける制度である。」 〈空虚〉を中心にして人間の運命は形成される。 邪悪さも善良さも不幸も幸福も

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