「堕落論」「白痴」「不連続殺人事件」―。 敗戦後、混乱のさなかにあった日本において、次々と話題作を世に問い、一躍時代の寵児となった坂口安吾(1906~55)。売れっ子作家として押しも押されもせぬ存在だった1951年、彼はとある珍騒動を巻き起こし、世の注目を集めることに。 その頃、安吾に随伴し、ともに過ごしたカメラマンは、“無頼派”の素顔をフィルムにおさめていた。 2月17日の命日〈安吾忌〉を記念し、特別公開する。 【写真3枚】檀一雄夫妻との貴重なショットも 流行作家でありながら、ヒロポンや睡眠薬による薬物中毒に苦しんだ坂口安吾は、1949年、静岡県伊東市にて転地療養を始めた。健康を取り戻すと、今度は国税庁に対して“税金不払い闘争”を行うなど、“無頼派”の面目躍如といったところだ。 そして51年9月、〈伊東競輪不正告訴事件〉を起こす。八百長があったとして伊東競輪の運営団体を検察庁に告発したの