――新田さんと一緒に出掛けることも多かったそうですね。 新田 よく覚えているのは、私が22歳で一度芸能界を辞めたとき。色々悩んで、人生を変えたくなって、ピアスも開けてみようと思ったんです。ただ、当時は「親からもらった体に穴を開けるなんて」と、ネガティブに捉える人もいた時代。一応母に相談して、てっきり反対されるかと思ったら「私も一緒に開けるわ」って言うんです。 それで、いざ二人で耳鼻科に行ったらちょっとビビったみたいで(笑)。「恵利ちゃん先に開けて」って。それで私が先に開けて、次に母が開けて。すると、「恵利ちゃんには、先生が穴を開ける位置を確認したのに、私には確認しないで開けた」って言うんです。「ママの年齢で、たくさん穴を開ける人もいないから、聞かなかったんじゃない?」って言いましたが、「なんで私には…」ってなんか拗ねちゃって。そういう母でした(笑)。 1975年、七五三のお祝いで 自宅での