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アラブの春に関するh5dhn9kのブックマーク (7)

  • 多くの人は「アラブの春」を大きく勘違いしている

    2011年、著者は夫と娘と3人でエジプト・カイロに降り立った。時は「アラブの春」による政治的動乱の真っただ中。ノンフィクション・エッセイ『エジプトの空の下』を書いたイスラム思想研究者の飯山陽氏にエジプトでの“刺激的”すぎる日々について聞いた。 「お前は全身が恥部だ」 ──30年に及ぶムバラク政権崩壊の直後、どんな日常でしたか? 第1に、死が非常に身近にありました。テロが多発し、爆弾の音で目が覚める。娘が通う幼稚園から「近くで銃撃戦が始まったので、迎えに来てください」と結構な頻度で電話がかかってきた。町中で弾丸が飛び交い、爆弾も車の下、路肩、学校・幼稚園そこここに。 大混乱の原因であるイスラム過激派のムスリム同胞団は、敵であるエジプト当局の庇護(ひご)下にある外国企業、外国人学校、外国人居住区をも攻撃対象にしてきました。 ──過激派指導者への取材場面、武力で政権打倒を叫ぶムルガーン師は開口一

    多くの人は「アラブの春」を大きく勘違いしている
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2022/01/10
    我々にとって都合の良い【穏健なムスリム】を前提にイスラム圏を考えるな。って事よね。当然ながらムスリムも生きた人間な訳で。
  • エピソード - 視点・論点

    「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を受賞した山さん。世界中で調査した住宅を紹介しつつ、コミュニティー作りを意識した建築を行ってきた思いを語ります。

    エピソード - 視点・論点
  • エジプト “アラブの春”から10年 強権的体制に逆戻りする事態 | NHKニュース

    中東のエジプトで「アラブの春」と呼ばれた民主化を求める大規模なデモが始まって25日で10年がたちます。デモによって独裁政権は崩壊したものの、その後、エジプトでは軍による事実上のクーデターを経て誕生した政権が批判的な勢力への締めつけを強めていて、再び強権的な体制に逆戻りする事態となっています。 エジプトでは10年前の1月25日、「アラブの春」と呼ばれた民主化運動が波及する形で大規模なデモが始まり、30年にわたって独裁的な支配体制を敷いてきた当時のムバラク政権が崩壊に追い込まれました。 その後、初めての民主的な選挙で大統領が選ばれましたが、2013年に軍による事実上のクーデターで追放され、今は、軍のトップだったシシ氏が大統領を務めています。 シシ政権は批判的な活動家を次々に逮捕するなど、強権的な手法で締めつけていて、デモの中心地だったカイロのタハリール広場は、10年の節目を前に、警察が厳重な警

    エジプト “アラブの春”から10年 強権的体制に逆戻りする事態 | NHKニュース
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2021/01/25
    まぁ……。エジプトはゴリゴリのランドパワーだし、四方の隣国とも関係が難しいので民主政を維持するのは難しいよな……。
  • 社会を変えた1人のブロガー その若すぎる死が刻んだもの|中東解体新書|NHK NEWS WEB

    そのときリーナは27歳。大学で英語を教えながら、ブログに政治への不満や人権問題などを毎日、つづるのが日課でした。その記事は瞬く間に大勢の人の目にとまるようになり、長年続いた社会の構造を変えるうねりをつくりました。 それから10年。“革命のヒロイン”と呼ばれたリーナは36歳の若さで亡くなりました。1人のブロガーは、何を残して旅立っていったのでしょうか。

    社会を変えた1人のブロガー その若すぎる死が刻んだもの|中東解体新書|NHK NEWS WEB
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2020/04/11
    『私はリーナを失ったが、1万人のリーナを得た』
  • ISISについて:池内恵と対談

    イスラム国躍進の構造と力 『公研』2014年10月号 「対話」 池内恵 VS 山形浩生 山形:イスラーム国の人たちの言動や行動を見ると、ずいぶんと前近代的で昔に戻ったかのような印象を受けます。その一方で彼らの意識には、中東の民主化への動きとも言える「アラブの春」が大きく関係しているのだと思います。池内さんは今回のイスラーム国の登場と「アラブの春」の関係をどのように捉えていらっしゃいますか。 池内:「アラブの春」が一回りしたことで中東地域に生まれた環境は、イスラーム国にとって非常に都合の良いものになりました。その環境と言うのは、中央政府の揺らぎ、弱体化であり周辺領域の統治の弛緩です。そこに、元来イスラーム国が依拠するイスラーム過激派の戦略論がぴたりと合わさった。9・11テロに対して、アメリカは大規模な対テロ戦争を展開し、イスラーム過激派は軍事的にも情報的にも経済的にも追い詰められました。それ

  • アレッポ陥落、オバマは何を間違えたのか?

    <アレッポ陥落に際して対シリア外交の失敗を認めたオバマ。アサド政権に対するもっと強力な外交攻勢が必要だったが、それが可能だったかどうか現時点で評価するのは困難>(写真:反政府勢力が支配する別の地域を目指して東アレッポから避難する家族) シリアのアレッポ東部では、アサド政権に抵抗する反政府勢力に対して、政府軍やロシアによる空爆が続いていましたが、今月14日前後にほぼ組織的な抵抗は終了し、事実上陥落したアレッポは政府軍のコントロール下に置かれました。 その時点で、問題は東アレッポの住民を「安全に脱出させる」ことに移っています。つまり、政府軍やその同盟軍であるシーア派武装組織、ヒズボラなどの暴力から保護して、シリア北部もしくはトルコ領内へ移動させる作戦です。 この「脱出作戦」に関しては、アサド政権は「テロリストを逃がすことは許容できない」と反対していました。確かにアサド政権に抵抗した人間は、アサ

    アレッポ陥落、オバマは何を間違えたのか?
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2016/12/22
    血を流す覚悟の無い日本人がアメリカに他国の平和の担保を要望するのは傲慢で欺瞞ですよ。民主主義がそんなに良い物ならば日米両国共に友好国のサウジアラビアに先ず勧めなければ。勿論、皮肉ですよ。はぁ、
  • 「6年前のシリアと今のシリアは…ここまで違うのか」衝撃的だと驚かれていた騒乱前と後の写真 : らばQ

    「6年前のシリアと今のシリアは…ここまで違うのか」衝撃的だと驚かれていた騒乱前と後の写真 2011年に始まったシリア騒乱。内戦やISISの攻撃により、シリアの景色は変わり果てました。 とある2枚の騒乱前後の違いが、あまりにも衝撃的だと海外掲示板で話題になっていました。 Syria: then and now 上は2010年の写真。 そして下が騒乱後の写真。 何もかもが失われていて、同じ場所であることが信じがたいですが、シリアの現実です。 この2枚に対する、海外掲示板のコメントをご紹介します。 ●ようやく同じ場所・地域・建物のセットで比較する写真だ。 ↑ドバイの比較が今でも一番自分を驚かせるよ。 ↑わお、その2つの写真がたった22年の違いだなんて。いかに早くドバイのすべてが出来たかを考えるとクレイジーだ。地元の都市なんて、3車線の環状道路を作るだけで同じだけかかったというのに。 ↑君の都市に

    「6年前のシリアと今のシリアは…ここまで違うのか」衝撃的だと驚かれていた騒乱前と後の写真 : らばQ
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2016/12/19
    いやはや、全く……。
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