今回は、爆クラ始まって以来の大問題に挑戦します。 それは、クラシック音楽におけるグルーヴ感、というテーマ。 わかりやすいビートがある、ジャズやポップスと違い、クラシック音楽には、一般的にはあまり”ノリ”のようなものが存在するとは思われてはいません。 しかし、ご存じウィーンフィルが、ヨハン・シュトラウスのワルツを演奏するときには、レゲエもびっくりの過激な突っ込みを披露するがごとくに、名演奏家と呼ばれる人々の演奏、そして楽曲そのものには、独自の”間”やドライブ感といったような、いわゆるグルーヴ感覚が確実に存在しているのです。 最近はジャズでもクラシックでも、ヴィルトーゾ(超絶技巧)流行りですが、技に耽溺するととたんに薄まっていくのがグルーヴの宿命でもあり、現在の心ある演奏家たちは、いろんな形でその両立を図ろうとしていますが、これがなかなかに難しい。 グルーヴはすなわち、味であり、ゆらぎであり、