女性3人組、キャンディーズの元メンバーで、女優の田中好子さん(享年55)の訃報から一夜明けた22日、芸能界から早すぎる死を悼む声が相次いだ。1970年代にテレビ朝日系バラエティー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のコントで共演した伊東四朗(73)は「突然でただ驚くばかり」と絶句、小松政夫(69)も「神様に順番が違うだろうと言いたい」と運命の残酷さをなげいた。 【続きを読む】
田中好子さんの肉声で、家族、キャンデーズメンバーの伊藤蘭さん、藤村美樹さん、東日本大震災で被災された方々、そして、その他の沢山の皆様へ、最後のお別れの言葉を話されました。
スーさん、あなたが旅立つときに一人で寂しくないように、美樹さんと一緒に名前を何度も呼びました。時間がたって、大切な人を亡くした寂しさがこみ上げてきて、私たちは困惑しています。 お互い幼い中学生の時に出会い、キャンディーズで喜びも苦しみも分かち合い、素晴らしい青春時代を過ごせました。3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつの間にか強く、頼もしく、心豊かな女性になっていました。お見舞いに行ったときも、体調が思わしくないのにもかかわらず、私たちを気づかい、ユーモアを忘れない、本当にかわいいスーさんでしたね。 私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、最後まで病気と闘い、立派に生き抜いた勇気を決して忘れることはありません。もう一度だけでいいから3人で会いたかったです。約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。だから、今はまださよならは言わずにおきますね。いつか会えるときまでも
乳がんのため、55歳で亡くなったスーちゃん、田中好子さん。 きょうの告別式では、先月前に病床で録音された、肉声のメッセージが公開されました。 内容を全文ご紹介します。 こんにちは、田中好子です。 きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。 被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈るするばかりです。 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。 でもその時は必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。 それが私のつとめと思っています。 今日お集まりいただいたみなさまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。 キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。 幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。 特に蘭さん、美樹さんありがとう。2人が大好きでし
スーさん、なんでそんなに早く逝っちゃったの。おばあちゃんになるまで、恒例の集合写真たくさん撮りたかったのに。スーさんがいないなんて寂しいよ。 数年前、スーさんからがんと聞かされたときは、本当にショックでした。でも、そのことを前向きに受け止めていて、私たちをいっとき、安心させてくれましたね。 病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、本当によく頑張りましたね。すごくつらいときにも優しい心配りで周りの人たちを和やかにさせ、その場の雰囲気をぱーっと明るく変えたのではないかと想像できます。 亡くなる当日も本当によく頑張ってくれましたね。私も蘭さんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。親族も勢ぞろいして、代わる代わる声をかけたり、手をさすったりしました。その柔らかい手の感触を、今でも思い出します。 スーさんは一足先に天国に行ってしまうけど、新たな命を頂いて、
キャンディーズのスーちゃんが亡くなって旦那さんが会見を開くらしい、といった話を耳にしてほぼ1時間後にテレビなどで訃報の一報が流れた。 こういう時の緘口令というのは見事なもので、利害関係のない素人の自分がたまたま知人から知らされた時点では、すでに数千人規模の人がこの話を知っていたであろうにも関わらず、ネットでフライングをしていたのは湯川れい子のツイッターぐらいだった。 スーちゃんなんて気安く書いたけど、自分はキャンディーズ世代ではないので、田中好子のことを会話の中でスーちゃんなどと言ったことはないし、「寅さんでジュリーと共演したのって田中好子だっけ」と、田中好子と田中裕子を取り違えたりしたこともあったくらいである。 とはいえ、キャンディーズが社会現象であったことくらいは知っている。ファンのすそ野が広いことも十分承知だし、知人が伊藤蘭にインタビューした時の周囲の反応の凄さも覚えている。
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