僕の世代では模型という言葉しかなかったのだが、現在はそれに類するものが巷にあふれかえっている。人がそれらのものを享受することを当たり前に思うようになったからなのだが、心痛む側面がないわけではない。 が、それはさておいて、模型そのものについて考えれば、時空を越えて、そのものがもつ特性なり性能なりといったものを圧縮しているものだと思える。 そこで具象化しているものは、具体的なものから抽象的なものまであって、コンピュータと連動させれば、無限そのものまで模することができるのではないかとも思える時代になった。 その意味とかディテールについては辞典類にまかせて、ここで言いたいことはそのような模型的なものが時空をつなげる道具になっていて、それは人という時空を越えようとするエンジンがあって実践されているのではないか、ということなのだ。 屁理屈であることを承知で、こんな思考回路を持つようになったのは、数年前