白樺湖がある池の平は、もともとシラカバやカラマツ、アシなどの植物が茂る、音無川源流の静かな高層湿原で、周辺は古来から諏訪郡柏原村(のち北山村柏原区、現・茅野市北山柏原区)と、北大塩村(のち米沢村北大塩区、現・茅野市米沢北大塩区)の村民の入会地「柏原山」の一部として採草や炭焼に利用していた。大門峠の手前に山小屋があり、地元青年会の運動会場としても利用されていた[2]。 この池の平の北半分を含む八子ヶ峰北側一帯は江戸時代、佐久郡芦田村(現・北佐久郡立科町)との所属を巡る争いの結果、柏原村が敗れて芦田村の所属となったが、池の平北側の芦田村立科八ヶ野地籍100町歩余の土地について北山村柏原区が1905年、芦田村側の財産組合から4000円余で購入。1912年7月5日に柏原区全区民名義に所有権が移り、芦田村域を含む池の平全域が柏原財産区の区有地となった[3]。 1935年ごろから区内で造成の機運が高ま