■横浜市歌は「開港50周年」事業として誕生した 横浜市歌を作詞した森鴎外(本名・森林太郎)は1884年(明治17年)、22歳の時に陸軍省派遣留学生として、横浜港から医学研究のためドイツ留学に出発した。また、代表作「舞姫」で、主人公のドイツ人女性との別れの地として横浜港が描かれるなど、文学者・鴎外にとっても縁の深い地でもある。 鴎外の日記などから、市歌制作プロジェクトは1909年3月21日 当時の横浜市長・三橋信方が依頼したことから始まったとされる。当時東京音楽学校(現・東京芸術大学)助教授だった南 能衛(みなみよしえ)が同年5・6月にかけ曲を作った後、鴎外が作詞をするという流れで制作が進んでいったという。 横浜を愛する人たちが「横浜市歌」を歌いつなぎ、未来に向かう新しい「横浜」を創造していこうと設立された「未来(あす)へつなぐ横浜市歌の会」の調べによると、南 能衛は徳島県出身の教育者で、東