あの音楽家に関連して思ったけど。 世の中にはヤンキーでもいいし障碍者でもいいし癇癪を起したりパニックになったりする子どもでもいいし、そういう人物がいるわけだけど。 現実的なのは取り押さえたり平手打ちするというものだけど、ポリティカルコレクトネス的ではないよね。 まさか説得しろとか警察を呼べとか(警察呼べとやたら言う奴ってその労力と手間を全然理解してない場合が多いけど)思ってるんだろうか。 まあ、そこは他人事なんだろうね、大半の人は。 「なんか知らんが上手いことやれ!俺の気に入る方法で!」といったところか。 俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。 今まで人類はそうしてきたけどそれほど支障があったとも思えないし。 さすまたとかネットランチャーで押さえつけて隔離するという
刺青への偏見が強すぎる。 個々の好き嫌いの話なのに、それを社会的に認められないのはなんでなんだろう? まず最初にはっきりと確認しておきたいのは、不快に思う人が多数派だってことを根拠に法規制するのは、法治主義の危機だと思う。今そういう動きがあるのはとても残念。 偏見については、多様性を否定する論に賛同する人が多いのかな? 「ヲタトゥー」の記事で星を集めてたブコメを眺めてたらデマや偏見だらけで滅入ってしまった。 タトゥーに対して不快感を持っても構わないんだけど、タバコの副流煙と違って実害は無いよね?偏見からくる不安はあっても、終電の泥酔客と違って実害は無いよね? その割に偏見が根強いのはなんでなんだろう? 反社会的勢力に与してなければどう? 露出しない部位ならどう? 反射的に嫌悪感を持つのはしょうがないけど、もう少し冷静に考えるべきじゃないかな。 以下追記まず、トラバやブコメしてくれた方々あり
私はグラス一杯のビールですらリバースしてしまう。 大学では体育会系の部活だった事もあり、先輩から飲酒を命じられて、最初にゲロ吐いて終わりまで寝かされてる役。 「酒を飲み続けたら、耐性ができて強くなるとは限らない」と思っている。 先日出張があった。打ち合わせの後で、社内の人だけで飲み会となった。 私以外の人はみんな酒が飲めるようで何より。私は飲めないなりに雰囲気を楽しんでいた。 そこで誰かが日本酒を注文し、その味で盛り上がった面々が、飲めないと言ってきた私に対して言ったのが 「お酒に失礼」 である。 何だよ、お酒に失礼って。 体質的に飲めない人間に飲酒を強要するのは、その人に対して失礼じゃないのか。 飲んだら吐かれる方が飲まないより失礼じゃないのか。 お酒というもの自体は嫌いではないし、凄いものだと思う。 それを作ってる人は尊敬もする。 飲めないから味については評価できないけど、飲める人には
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