ブックマーク / newsweekjapan.jp (6)

  • ユニクロに続け! 隠れた日本のスーパー企業

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 10月1日以来、ファッションの中心地パリは「ユニクロ・ショック」に見舞われている。この日、「ユニクロ」がヨーロッパ髄一の商業地であるパリのオペラ地区に、ニューヨーク、ロンドンに続き世界で3番目となる旗艦店をオープンしたのだ。開店以来、大勢が行列を作る賑わいを見せている。 この熱狂ぶりは、01年にエルメスが銀座に店をオープンしたときのことを思い出させる。パリっ子がどんなに我慢が嫌いかを知っている人なら、寒いなか彼らが並ぶのがいかにすごいことか分かるだろう。さらにすごいのは、この店が開店する数日前まではヨーロッパ大陸で誰も「ユニクロ」なんて知らなかったということ。ユニクロは少しずつ、非欧米企業としては初めてにして唯一、世界規模の生活用品ブランドになりつつある。このような例を、私は他には知らない。 ユニクロの例は、他の日企業にとって前向きな教訓になるはずだ

    ユニクロに続け! 隠れた日本のスーパー企業
  • 日本の良さが若者をダメにする

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 想像してみてほしい----あなたは、日で生まれ育った18歳のフランス人。東京・飯田橋にあるフランス人高校を卒業したばかりで、将来のことを真剣に考えている(フリをしている)。自分の生きる道は、どちらの国にあるのか。フランスに渡る? それとも日に残る? あなたが新聞を毎日読んでいるなら、答えは自明だろう。もちろんフランスだ。 フランスは「joie de vivre(人生を楽しむ)」国だ。国際的で、若々しくて、開放的。世界1の美女に世界1のファッションブランド、世界1の景色とワインがそろっている。 一方で、日は「未来が約束された国」の座から転げ落ちてしまった。高齢化と景気低迷がものすごいスピードで進み、世界での存在感はすっかり失われている。 日にとって、世界はどうでもいいらしい。政治もメディアも自己中心的で、NHKの7時のニュースは国内ニュースばかり

    日本の良さが若者をダメにする
  • 政権交代でも思考停止の日本メディア | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー トイレを修理してもらうために呼んだ業者にこんなことを言われたら、どうだろう。「うーん。ちょっと待ってください。セカンドオピニオンを聞かないと」。さらに悪いことに、医者にこう言われたら?「おかしな病気ですね。医者を呼んできます!」 8月30日の総選挙で民主党部に詰めていたとき、私の頭に浮かんだのはこんなバカげた光景だった。日のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」 そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあんな質問に答えましたね。あんなものはジャーナリズムじゃない。日の記者はただ騒いでいるだけ。今夜、この国が根から変わったことを理解していない」 総選挙を境に日は根底から変わった──

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  • ゲイリー・ナイトの記事まとめ | ニューズウィーク日本版

    信念の写真家キャパの「置き土産」 ニューヨークの国際写真センター(ICP)で、「メキシコの旅行カバン」という写真展を見た(来年1月9...

    ゲイリー・ナイトの記事まとめ | ニューズウィーク日本版
    hammer_egg
    hammer_egg 2010/05/03
    ゲイリー・ナイト
  • 想像を絶した私の戦争「初体験」【前編】

    私にとって初めての戦争体験は(あやうく人生最後の体験になるところだったが)、自分の血と引き換えに買ったものだった。その体験のクライマックスは、はるかなカンボジアの谷間で、ヤシの木々に飛び散る人間のおびただしい血と肉片で彩られた。 私は24歳で、怒りと情熱に血をたぎらせた貧乏なフリーのカメラマンだった。気高く勇気ある人々に刺激を受けて夢を抱いた私は、89年の乾季の始めに、タイの首都バンコクのモーチット・バスステーションから急行バスの屋根の上に乗り込み、カンボジアとの国境に近いアランヤプラテートというみすぼらしい町に向かって255キロの道のりを進んだ。 私たちが「アラン」と呼んでいたその町は、スパイや看護婦、武器商人、ゲリラ、娼婦、放浪者、詐欺師などあらゆる人々でごった返していた。私はカンボジアを占領していたベトナム軍との戦いに向かうカンボジアのレジスタンスのグループの一つと落ち合うことになっ

    想像を絶した私の戦争「初体験」【前編】
  • 想像を絶した私の戦争「初体験」【後編】

    その夜私たちは深く濃い闇の中でハンモックに横たわり、眠れないままで過ごした。物悲しい虫の音が響き、兵士たちは戦闘の準備をしていた。ユーカリの焚き火から立ち上る煙の合い間に、オレンジ色の火に照らされて時折ライフル銃が光るのが見えた。 M16自動小銃か中国製の携行式ロケット弾に約10キロの弾薬、ハンモック、歯ブラシ、鍋、米を詰めた緑色の細長い布の袋を、それぞれの兵士が携帯していた。緑の袋は太った短いヘビのように、首か腰に巻きついていた。行軍中にはその米のほかに、虫やヘビや魚を捕らえてべることになる。 ほとんどの兵士が裸足か、アランヤプラテートの市場で買った派手な色のビーチサンダルを履いて歩いていた。ロールアップしたズボンを履いている兵士もいれば、赤と白のチェック柄のクロマーと呼ばれる木綿の布を腰に巻いている者もいた。 それとは対照的に、士官たちはかっちりとしたアメリカ製の密林仕様の軍服を着用

    想像を絶した私の戦争「初体験」【後編】
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