でもこれは逆転でもなんでもなくて、21世紀の世界においては、リベラルで反体制的(にみえる)主張をしたほうがお金が儲かるという、新しい条件の出現を意味している。だから一般大衆の保守化を「あいつらは騙されてる」と捉えるのは完全に間違っている。むしろ彼らのほうが現実をわかっている(→)
![東浩紀 Hiroki Azuma on Twitter: "でもこれは逆転でもなんでもなくて、21世紀の世界においては、リベラルで反体制的(にみえる)主張をしたほうがお金が儲かるという、新しい条件の出現を意味している。だから一般大衆の保守化を「あいつらは騙されてる」と捉えるのは完全に間違っている。むしろ彼らのほうが現実をわかっている(→)"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2222a4663efb69c6b9f56e4a6b93737cb142691d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1322114245467598850%2Fpz_yTcye.jpg)
能「自然居士」で描かれた“身売り少女”の悲劇 世阿弥(1363?~1443?)の父、観阿弥(1333~1384)が作ったとされる能で、「自然居士じねんこじ」という作品がある。 主人公の自然居士は、鎌倉時代の京都に実在した半僧半俗の説経師。彼の説法は庶民にもわかりやすい解説とパフォーマンスで知られ、彼が登壇する説法会はいつもファンで超満員だった。いわば当時のカリスマ・タレントである。 ある日、京都東山の雲居うんご寺というお寺での出来事である。この日は、寺の修繕費集めのための7日間におよぶ、自然居士スーパー説法ライブの最終日だった。境内は自然居士目当ての信心深い男女で大賑わい。そんな聴衆のなかに、死んだ両親の供養を願って、美しい小袖をお布施として持参してきた14~15歳の少女がいた。 じつは彼女は、自分の身を人買い商人に売って、それで得た代金で小袖を買い、両親のための読経を依頼しにきたのだった
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