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lifeに関するhandoのブックマーク (141)

  • 月夜の孤独 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    将来とか、世間とか、そんなことはもう考えられなくて、ただ心がその人の存在で溢れそうなほど満ちて、胸がかきむしられるように切ない夜がある。 別々の人間である限り、どんなに抱き合っても相手を手に入れることなど出来やしなくて、それでも求めずにはいられなくて、幸福と絶望で魂が浮遊する夜がある。 月を見ても、星を見ても、ただ切なくて、その人の存在だけが愛おしい夜。 ただ、あなたが欲しい。ただ、あなただけが。今私の欲しいものは、あなただけだ。 そんな時だけ神様の存在を信じられることが出来る。あの人をこの世に生み出してくれて、私も同じ世界に生み出してくれてありがとうございます、と。そしてあの人に出会わせてくれてありがとうございます、と。 身も心も焼き尽くすような想いを抱えて夜を彷徨う。ここにはあなたが居ないことは知っているけれども、それでも探さずにはいられない。私の側ではなくても、あなたは確かにこの世界

    月夜の孤独 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 配偶者や恋人に癒して貰いたいのは中年男: 極東ブログ

    天気がよいので少し遅いのだが梅を見に行った。お目当ての梅はいいのだが広い公園に辿り着くと犬が多いのにあきれた。野犬ではない。ペットである。ペットとお散歩族というのはこんなにも多いものなのか。家族連れというよりペット連れという世界にいつからなっていたのだろうか。 私は犬が嫌いというわけでもないが、公園を歩くのに犬に気をつけるというのは妙なものだなと思いつつ、一休みということで暖かい缶コーヒーをベンダーで買ってベンチで座り、少しむこうにある子供の遊具を見ていたのだが、いや、正確に言うとそうではない。大人の人集りがあり、なんだろう蝦蟇の油でも売っているのかという雰囲気なので覗いてみたら、子供の遊具であった。子供より周りで見守る大人の数のほうが多いのである。 そして子連れの雰囲気を見ていると、どうもペットの延長のようにも思えてきた。まあ、それがいけないわけでもないのだけど、なんだか変なもの見ちゃっ

    hando
    hando 2007/03/05
  •  セックス・セックス・そして、セックス ―『私を女優にして下さい AGAIN』カンパニー松尾監督作品 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    セックス・セックス・セックス、そして「アダルトビデオ」。セックスって、アダルトビデオって、あなたにとって、何ですか? 「AVに出る女」は、AV女優と呼ばれるけれども、AVに出る女の中には「素人」と呼ばれる女性達が居て、この作品は、三人の「素人」の元に監督が出向いてホテルでハメるという内容のビデオです。有名なシリーズだということは知っているけれども、V&R時代のこのシリーズは私は見たことがありません。(私はそんなにAVを数多く見ているわけではないので、比較論とかは出来ませんので、あしからず) 自ら「AVに出たい」と応募してきた「素人」とラブホテルでセックスする。私達の日常の延長に存在している、決して「AVを見ている私」達と違う「あちら岸」に居る女ではない、同じ岸に居る女の「セックス」。 以前、私は「女」である自分がAVを見る事の葛藤について書きました。http://d.hatena.ne.j

     セックス・セックス・そして、セックス ―『私を女優にして下さい AGAIN』カンパニー松尾監督作品 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
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    hando 2007/02/26
  •  業界の話。 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    長野県のバス会社の痛ましい事故の話ですが、自分が関わる業界だからこそ、内情の複雑さが少しなりともわかるので、うかつに何も言えないわけですが、バス業界、旅行業界だけじゃなく、利用する側の意識の問題も含めて、ちゃんと報道して欲しい思います。 この業界に限らずなんですが、「業界の常識」が「世間の非常識」と言うのは、どこでもある話だと思います。で、その業界に何の問題意識も持たずに、どっぷり骨の髄まで染まっちゃう人は、段々「世間」と距離が出来てしまうわけで、距離が出来ていることすら気付かないわけで。そういう人と会話してると、「あちゃー」と思う事が度々あります。勿論、永くその業界に居ても(時間的な事は実はあまり問題ではない。要は業界、そして自分自身に対しての客観性の問題)「業界の常識」が「世間の非常識」である認識をして、その中で仕事をしている人も、たくさん居るし。 ただ、世の中と言うのは変わるもので、

     業界の話。 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
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    hando 2007/02/25
  • 若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由 - finalventの日記

    私はバートランド・ラッセルが好きで、よく読んだ。英語の勉強をかねて読んだりもした。読みやすい英語かというとそうともいえるしそうでもないとも言える。文章のリズムが現代英語的ではない。この歳こいてみると文章のリズム感は小林秀雄なんかと似ているかもと思う云々。 ほいで。 若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由なのだが。 数学の問題を解きたかった、 ということらしい。 ラッセルから学んだことはいろいろある。 ラッセル幸福論: B. ラッセル,安藤 貞雄 もあるが、訳はこっちのほうがよいかと思う。 こっち⇒「 幸福論: : ラッセル」 ラッセルをちと離れて思うのだが。 子供の頃、小学校一年生くらいだったか、同級生の女の子が、「怖くておかしくて悲しい話って知っている?」というのだ。教えてもらた。 それは、「鬼が出て、おならをして、死んでしまいました」というのだ。 私は感動して、50歳に

  •  わたしの子供になりなさい ―「性感Xテクニック」 性感師・南智子 監督・代々木忠 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    「エロい」女とは、男を大いなる慈愛で包み込み愛する女、つまりは絶対的な「母性」で他者を抱くことのできる女ではないのだろうか。 私がAVに興味を持つきっかけとなったのは、代々木監督の作品だった。代々木監督の「ザ・面接」シリーズを皮切りに、近所の小さなビデオ屋の「代々木監督コーナー」のビデオを借りまくった。二十歳ぐらいの頃だろうか。まだセックスどころかキスの経験も無い私は「セックス」を描く「AV」に衝撃を受けた。 そしてビデオだけではなく、代々木監督の名著「プラトニック・アニマル」、この当に世に広く読まれるだ。クソみたいな恋愛・セックスマニュアルを凌駕する名著だ。 アテナ映像からは、ありがたいことに過去の「名作」が復刻してDVDとして発売されており、「消費されない名作」を愛蔵することが出来る。当に、ありがたい。私がAVに関して時折猛烈に感じる「もどかしさ」は、AVが消費されてしまう

     わたしの子供になりなさい ―「性感Xテクニック」 性感師・南智子 監督・代々木忠 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
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    hando 2007/02/20
  • 客筋のいい人 :Heartlogic

    客筋のいい人 以前に行っていた飲み屋の姐さんに、すごく客筋のいい人がいて、ちょっと憧れていた。最初は何も気づかなかったが、しばらく観察していると、その人の周りだけちょっと空気が違う感じがした。あ、いい人だなーと思った客はたいていその姐さん目当てっぽかった。聞くところでは、それなりに有名な文化人が来ることもあるようだった。 キャバクラのようなお姐ちゃんメインの店には行ったことがないし、水商売の世界をよく知らない中での想像だが、ああいう商売にとっては、継続的に金を落としてくれる常連客が一番の財産。そして、その常連客をキープしておく手段は様々で、最も簡単なのは、とりあえず「お友達」になっちゃうことなんだと思う。 「お友達」になっちゃうのにたいしたスキルはいらないだろうし、若い女性とお友達ノリで話せる機会は、おっさんにとって大きな喜びである、というのはよく分かるようになってきた気がする。 しかし、

  • 素晴らしい人の甘えは綺麗な甘え - 出られないから仕方なくここにいるよ。

    甘えるなと言われ続けて育つと人を頼る能力が育まれずに、代わりに自己解決能力だけが発達するけれど、世の中的には最初から最後まで全て自力でやり遂げる(そうせざるを得ない)人よりも、他人を頼って学びながら徐々に成長する人の方がウケが良い。甘えてるのに。人生の大切な局面で誰の助けも得られず歪んだ人は最後まで誰にも相手にされないけれど、恩師に助けられたり、きっかけを与えてくれる人が現れて乗り越える話はみんな大好き。甘えてるのに。

    hando
    hando 2007/02/16
  • ■ - リオ・デ・ジャネイロの祭り

    伊勢の国際秘宝館へ。オープンしたばかりの頃はどうだったか知らないけれど、ほんとうにエッチな意味でドキドキしながらここに訪れるひとはもう誰もいなくて、クレイジーな展示をみながら「なんだこれー」とばかにするような楽しみ方をする場所だろうから安心して(こんなくだらないところに遊びに来るなんてちょっと特別なひとになったみたい)という贅沢な気分を味わえると予想していたのに、実際に訪れてみると「なんだこれー」とばかにするような楽しみ方をされる時代も過ぎてしまって今はただ建物すべてが崩壊するのをじっと待っているように思われ、ひどく寂しくて悲しい気持ちになった。 クールな感性を持った都会の若者たちから斜に構えた視線を浴びておもしろがられていたのも遠い昔、看板ははがれ、塗装は笑えない程消えかかり、すべての展示に比喩ではなく蜘蛛の巣がはっている。順路の途中で500円払ってひいた福引では、ピノキオが描かれた紙袋

    ■ - リオ・デ・ジャネイロの祭り
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    hando 2007/02/16
  • 人間関係のこじれを解決するのが得意な人

    (例によって写真はイメージです。後で熊野で撮った写真に差し替えるかも) 人間関係のこじれって当にやっかい。 誰にとっても、難問のひとつではないかと思います。 だからこそ、それを解決するのが得意な人は、 真の意味で「人生の達人」と言えるのではないでしょうか? 上の文章を書いてて、 ちょっと「自己啓発クサイ」と思いましたが、 書き直すのも面倒なので、このまま行きます。 今日は、僕が今まで出会った人類の中で、 最も「人間関係のこじれを解決するのが得意な人」の話です。 ------------------------------------ それは、以前働いていた会社の、上司でした。 仮にIさんとしておきます。 「家で大量の鳥を飼っているらしい」 という噂がちょっと気になってはいましたが、 それ以外は、普段は別に魅力が溢れ出ている風ではない、 ごく普通の人でした。 ところがIさんは、 いざ人間関

    人間関係のこじれを解決するのが得意な人
  • いうまでもなく地球は滅亡する - finalventの日記

    ⇒人力検索はてな - 地球の滅亡につながってしまうような問題を調べています。(例えば、酸性雨で、土壌や湖沼を酸性化させ、森林や湖の生態を破壊しているなど)そういったものについて、分か.. ホーキングも明確に言っているがいずれ地球は太陽に飲み込まれて消滅する。ただ、それまで人類が持たないということ。彼はけっこうもたないと見ている。私はなんとか数万年は持つかもしれないなと思うことにしているので、数万年後の人間というものを構想する。 ただ、それでも、いうまでもなく地球は滅亡する。 それがどういう意味なのか若い頃はいろいろ考えた。老いて良いことはそんなことより自分の滅亡が上位の課題になってきたことだ。 それにしても、必ず滅亡するとわかっていてなぜ地球生命は存在するのだろうか。 これはちょっと思うことがあるが、トンデモとか言われるのも嫌なので略。 追記 間違い訂正。最近の説では地球は太陽に飲み込まれ

    いうまでもなく地球は滅亡する - finalventの日記
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    hando 2007/02/15
  • 私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死ん..

    私をべて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死んで3日後。準備は全て済んで後は待つだけとなった。1日目にはホームセンターにノコギリと寸胴鍋を買いに行った。2日目には彼女を風呂場で切断した。愛する彼女を切断するのは気が引けたけど、そのままではべることができないので切断した。そして3日目。バラバラに切断した彼女を寸胴鍋に入れて煮えるのを待っている。火で炙ろうかとも思ったのだけど、彼女は火葬が嫌だと言っていたのでやめた。ぐつぐつぐつぐつ。彼女が入った寸胴鍋をぼーっと見ている。ノコギリで切断したときも思ったことだけど、愛する彼女が肉片になっていくのはやはり悲しかった。それもノコギリで自分が彼女をバラバラに、肉片に、彼女を分解していく感触は堪らなかった。しかし、ぐつぐつと煮える鍋をぼーっと見ていた。涙も胃の内容物も、彼女が死んでから何もべていなかったので胃液しかなかったが、

    私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。 彼女が死ん..
  • あれが“死”か。(1): たけくまメモ

    ブログにも既に何度か書いたが、昨年12月19日、俺は2度目の脳梗塞発作を起こして死にかけた。医者や親父の話を聞くと、脳出血も起こしていて当に死の一歩手前まで行ったようなのだが、残念なことに俺はまったく覚えていない。麻酔でぐっすり眠っていたからである。 だから、死の淵をかいま見た人の多くが体験するという、いわゆる「臨死体験」も経験しなかった。もしかすると経験したのかもしれないが、全然覚えていない。勿体ないことである。立花隆の『臨死体験』その他類書をひもとくなら、臨死体験のパターンは世界中でおおむね決まっていて、暗黒の世界にある暗く狭い穴にグングン引き込まれていくと、突然視界が開けて光に満たされた広大な空間があらわれるのだという。人によってはそこは草原であったり花畑であったりするそうだが、なぜか前方に川が流れていて、向こう岸に死んだはずの肉親などが立っていてこっちに向かって手を振っている。そ

  •  酔死 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    酒がらみの事故のニュースだけは、当にやりきれない。 殺してやりたい。 そして、ますます酒が嫌いになる。酒に罪はないけれども。 酒を飲むと気持ちがいい。酒に逃げたい時もある。飲んで酔ってハイになって、最高に味わえる高揚感。普段言えないことも言えるし、出来ないこともできる。嫌な事も酔ってる間は忘れられる。 20代の初めは狂ったように毎日飲んでいた。飲んで騒いで体に痣を作って吐いて叫んで怒られながらも。人と飲まずとも一人でも毎日飲んでいた。酒の味が美味いわけじゃない。ただ酔いたいから飲むだけ。だから少量ですぐ酔える酒がいい。ウォッカやジンをストレートで飲んでいた。喉に流し込むと焼け付くように熱い。そして気分が高揚し味わえる万能感。酔って笑って泣いて、その時だけ自分を曝け出せる。 そして、飲んだあげく、よりを戻してはいけない人に電話をかけた。飲んで泣いてあなたが必要だと泣き縋ったテープを親に渡す

     酔死 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    hando
    hando 2007/02/07
    気をつけよう
  • On Off and Beyond: ハリウッド映画予告編の男:Don LaFontaine

    一昨日夜半病院行きとなったムスビ。今日は随分元気になってきました。病名は、バクテリアによる消化器異常・・・つまり「あたり」ですな。うーん、何をべたのか。(もう一匹はピンピンしている。) なぜバクテリアとわかったかというと「サンプル」を持ち込んで顕微鏡で見てもらったから。サンプルが何かはヒ・ミ・ツ。脱水症状気味だったので、生理塩水を打ってもらって、あと抗生物質ともう一つ注射して、薬をもらって、消化のよい処方箋キャットフードを出してもらって帰宅。これで2時間。ふー。 で、今は、毎日二回薬を飲ませないとならないんですが、これが、針のない注射器で1ccずつ二種類を喉に流し込む、という荒業。手で、ぐわっとの頭を掴んで仰け反らせ、口をあけた瞬間に喉の奥のほうめがけてぐしゃっと噴射。結構上手くなってきたけど。 昨日は、隅っこにうずくまって水も飲まず、ダダモレ状態でしたが(今日もちょっと)、今日は

    On Off and Beyond: ハリウッド映画予告編の男:Don LaFontaine
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    hando 2007/02/07
  • 銭湯の洗い場でおしっこする少年を見た。 -

    先日久方ぶりに銭湯に行ったところ、お子さんが洗い場でおしっこをしていた。お父さんが申し訳なさそうに、そして周囲のおっさんがいやそうにしていたのがよくある風景といえばよくある風景だったのだが、当の人はいたって平静だった。間違ったことはしていないという確信に満ちた顔だった。 なんとなくだが彼の考えがわかった。彼は思っただろう。脱衣場では漏らすべきではないし、ましてやお風呂のなかでごまかすのもありえない。前者はお風呂屋さんに迷惑だし、後者はモノゴトをうやむやにしてしまうオトナのやり口だ。事件は発覚しないが湯船につかるすべての人間をうらぎることになる。そんなことはしたくない。ただおしっこはしたい。 おしっこ欲を満たすこととおしっこ被害を最小限にい止めるため、かれは状況判断した。そのギリギリの折衝の結果として、彼は洗い場でおしっこすることを決意し、実行にうつしたのだった。 周囲のオトナみんなが彼

    銭湯の洗い場でおしっこする少年を見た。 -
    hando
    hando 2007/02/06
  •  ラブレター - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    前略 今年は、全くと言っていいほど京都には雪が降りません。寒いのは嫌なんですが、季節感が無いのも、寂しいものですね。知人に聞いたのですが、うっすらと雪がかかった金閣寺はえもいわれぬ美しさらしいです。金閣寺の周りには鏡湖池という池があります。その名の通りに、鏡のように金閣寺を映す池なのです。雪の金閣寺と、池に映る金閣寺、想像するだけで酔いしれてしまいそうです。小学生の頃、叔父の棚にあった三島由紀夫の「金閣寺」を読んで、火をつけたくなるほどの「美」とは、どんなものだろうかと興味を惹かれました。それから大学に入り京都に来て、こういう仕事をしていることもあり、金閣寺には何十回も訪れています。ただ、雪衣を纏う金閣寺というのは、まだ見たことがないのです。あなたは金閣寺を見たことがありますか。私は、「美しいもの」を見ると、火をつけたくはならないけれども、あなたに見せたいと、いつも思います。美しい景色、

     ラブレター - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    hando
    hando 2007/01/29
    文章を書くとか、絵を描くとか、何かを表現することの動機は、人それぞれだと思います。ただ、私の動機は、「ラブレター」を書きたいということなんです。
  • 覚悟のある恋愛 ―「それから」 夏目漱石― - 歌餓鬼抄   

    映画を見た感想というものは、ごくごく個人的なもので、それは受け手の経験や状況から生じたフィルターを通じて初めて個人の中に伝達される。だから同じ映画を見ても、例えばAという人物とBという人物が全く相違の無い感想を持つということは有り得ない。AとBは別の個を持つ人間だからである。そして経験や状況というものは良かれ悪しかれ時を経て変化する。だからAという人物が同じを読んでも、例えば10代の時に呼んだ感想と20代に読んだ感想とが全く相違が無いということは無い。多少なりとも変化しているのが当たり前だ。 夏目漱石の「それから」という小説を初めて読んだのは高校生の時だ。今までに何度か読み返している。少し前、の整理をしていて発見し、久々に読み返してみようと思った。「それから」は、激しい小説である。静かで壮絶な物語である。 主人公代助は、大学を卒業したが何の職業にも就かず実家からの援助にて暮らし

    覚悟のある恋愛 ―「それから」 夏目漱石― - 歌餓鬼抄   
  • 藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - うんざりするような優しさで

    以前、SMクラブに面接に行ったことがある。その頃私は、SMの真似事で、ある男の奴隷になっていた。 奴隷の真似事は何度かやってみたが、いつもどこか頭が冷めていた部分があることを自覚していたので、自分はマゾのつもりなんだが当はそうじゃないような気もしていたし試しに女王様でもやってみようかと思ったのだ。勿論、お金の為というのが一番だったけれども。 そして結局女王様にはなれなかった。歓楽街の中のごく普通のマンションの一室で、ご主人様に貰ったマニア雑誌で見つけた広告に出ていたSMクラブに電話をかけて、そこのママに「面接」をしていただいていろいろ身の上話をしているうちに私はボロボロ泣いていた。 男に言われるままに金を貸し続けてサラ金地獄に陥っていると、その当時は恥ずかしくて誰にも言えなかった話をするとママは私に、 「優しいのね。」 と、言った。 そう言われて私は、その時初めて会った「女王様」の前で、

    藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - うんざりするような優しさで
    hando
    hando 2007/01/24
  • あの楽しそうな人たち

    ポケットベルという物をまわりのみんなが持ち始めた。何だかコソコソと取り出しては、足早に電話ボックスに駆け込んで凄い早さで交信していた。でも、あんな小さい画面に数字の語呂合わせでやりとりできることなんてたかが知れているので、たいして気にも留めないふりをしていた。 やがて、連絡が付かないからと言って半ば強制的にポケベルを持たされた。知らない間に漢字まで表示できるようになっていて、びっくしりて、正直ちょっとうれしかった。でもまわりのみんなは携帯を持ち始めていた。何処にいても電話がかかってくるなんて、どうしてそんなことに耐えられるのかが不思議でならなかった。 あっと言う間にポケベルを持っているのは私だけになって、困ったことに公衆電話が見る見る減っていった。まわりのみんなはいつも携帯で楽しそうに話していた。不意にかかってきてそのまま歩きながらしゃべる内容なんてどうせ大したことはないということにして、

    あの楽しそうな人たち