⇒http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20090504#p1 これから私が話すことは、自由と反抗についての物語であり、同時に、剥奪と服従の物語である。これらの相反する概念について私がひとついえるのは、たいていの人びとは。その中間を生きているということだ。完全な逸脱や、百パーセントの服従が存在しないように、人はある場面ではそれなりに自由であり、別の場面では相応に不自由である。 3篇の短い物語を収めた小説集は、ドストエフスキーの『悪霊』から引いた巻頭言の後に、その宣言をもって開巻する。3篇の一切を貫くアフォリズムを示してみせるのは、宣言に続けて「しかし、私には中間がない。すべてが過剰に満たされているか、まるごと剥奪されているかのどちらかなのだ。」と述べる『アイコ六歳』だ。 「たとえば私の家は千代田区のまんなかにあって、東京でこんな広い家に住んでいる人はどこにもいない。同時