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はい?に関するhanhansのブックマーク (6)

  • みちのくコーヒー牛乳

    何でか知らないがみんながみんな僕のことを避けて歩く。別に道の真ん中を歩いているわけじゃない。 真横のショーウィンドウに僕が映っている。歩くたび次のショーウィンドウへと僕が移動する。 ショーウィンドウに次から次へと僕の姿が映っていく。少し先のショーウィンドウには僕は映ってない。 そのウィンドウ越しに路上を見るが僕の半径1Mには人っ子一人いやしない。目すら合わせてこない。 何事だろうか。いぶかしんで、肘、頭、口元辺りを順々に点検する。なんともない。正常だ。 その点検する仕草を見たのだろう、ずっと向こう側から迫る背広の男や、反対の歩道から僕を見やる皺っくちゃの老婆は、うわっとかまぁっといった風な形に口を開き死に掛けのセミにぶつける視線でもって僕を不安にしてくれた。 いいかげん理由が知りたい。それほどひどい顔じゃないだろうに、なぜ僕をそんな目で見る。 ウィンドウが途切れて横道に差し掛かった。のだが

    みちのくコーヒー牛乳
    hanhans
    hanhans 2007/11/17
    コーヒー牛乳飲みたい
  • 石川啄木大好きっ子

    石川啄木が好きで好きで仕方ない娘と話した。面白かった。普通に定期入れに写真とか入れて持ち歩いてる。教科書に載ってたみたいな白黒写真。ちょっと話題振っただけで娘、超ハイテンション。すごいベタ惚れなので感動した。嬉しそうな娘を見ると俺も嬉しい。 俺「啄木ってあれだろ、【我泣き濡れて蟹と戯る】」 娘「そうそう!」 俺「上の句なんだっけ」 娘「浜! 浜!」 俺「ああ、【石川や 浜の真砂は尽きるとも 我泣き濡れて蟹と戯る】」 娘「殺すぞ!」 笑ったわ。で、そこから石川啄木って有名?って話しになって、俺は「いや普通石川啄木知らんだろ、名前程度で」って言ったら娘反論。啄木はメジャーだと言い張り一歩も譲らない。じゃあってんで周りの奴に聞いてみた。石川啄木ってどうよ? 友「あーあれだろ、蟹の」 娘「そうそう!ほら知ってる知ってる!!!」 友「なんだっけ、蟹と」 俺「【白河の 水の清きに耐えかねて 我泣き濡れ

    石川啄木大好きっ子
    hanhans
    hanhans 2007/11/17
    「殺すぞ!」萌え。
  • 風景画

    へそで吸っては口からもれていく 何が? どこまでも続くと思った道は突然にして消え失せる 道が無ければ一歩も動けない 目的が無ければ道を探せない 吸ったのは思い、もれ出たのは生気 ふぬけた人形は棚の奥

    風景画
    hanhans
    hanhans 2007/11/13
     わりと風景関係ないのが。
  • ファック文芸部は何もわかっちゃいない

    第二回ファック文芸部杯へのお叱りについて http://neo.g.hatena.ne.jp/xx-internet/20071111 彼の書く文章からは心が感じられない。 あれこれと理屈をこね、ファック文芸部様の創作姿勢についてあれこれと語られているものの 人の心は、はてな匿名ダイアリーサイドの声はほとんど勘案されていない。 まず、出発点が間違っている。 anond に創作を混ぜる行為が嫌われる理由として、一番のものは"読み手への悪意"だと判断しました。 いやいや。 あなた方がやっていることを喩えるなら……。 とある広場でいろんな人が語り合っているとしよう。 ときには議論、ときには恋の話、いろいろなことを話している。 そこへ彼らの登場だ。 この喩えでいくなら「ファック演劇部」かな? 向こうの方から拡声器の声が聞こえる。 『最も多く拍手を集めた人が、ファック演劇杯の優勝者です。』 注目を集

    ファック文芸部は何もわかっちゃいない
    hanhans
    hanhans 2007/11/13
     と見せかけて実はファ文士だったオチだったらどうしよう。
  • 表現・会話・聖戦

    私は表現、この場合創作といってもいいが、それらの価値というのは、ただ会話をすることでは得られない感情を共有できたり、そこに理解が生まれたりすることだと思っている。フィクションを通じて確かに共有できるものがあるから私は物語を読むし、表現する。何にも繋がらない、誰とも共有できない断絶された創作物なんて、あるとすればだが、全く駄目だと思う。私たちが創作物に触れるのは、暇つぶしのためではないし、気分転換のためでも断じてない。 聴きたい。気で助けを求めたことがあるのか。一点の曇りもなく誰かに何かを求めたことがあるのか。心の底から同情を欲したことがあるのか。ただ自分の内面をむき出しにしてそのまま相手にぶつけたことがあるのか。泣きながら胸のうちを打ち明けたことがあるのか。私はそんなふうにしたことは一度もない。私がそのような問題にとらわれないからそうしない、ということではない。私にだって、いつもというわ

    表現・会話・聖戦
    hanhans
    hanhans 2007/11/13
     救いはあるかもしれないし、ないかもしれない。それは常に五分五分ではないかという気はしている。「他人は運」だし。
  • https://anond.hatelabo.jp/20071111141744

    hanhans
    hanhans 2007/11/11
     いい話だなー。なんとなく至近で読んだ「サイコスタッフ」が思い出された。
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