「こんな文書は見たことがない。日航から報告もなかったのでは」。1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故から12日で丸37年。「ミスター隔壁」とも呼ばれたベテランの元調査官、斉藤孝一氏(77)は、こう証言した。西日本新聞が入手した内部文書を読んだ反応だ。 【画像】ボーイング社が懸念していた与圧構造部分 日付は、事故発生の約1年4カ月前。製造元の米ボーイング社から、日本国内の駐在員を介し、日本航空の技術者に渡った英文のテレックス。事故機を含む同型機について、事故原因となった後部圧力隔壁を含む胴体部分の疲労度に懸念を示した上で、運航する日航に対し、機体を詳しくチェックする補足的な検査の「前倒し」を求めていた。 ボ社の責任者とみられるサインも入っている。製造元が実は、機体の安全性に疑問符をつけていた-。文書の存在は専門誌で指摘されていたものの、全文は公になっていなかった。 運輸省航空事故調査委員会(